<天下人たるの“権威を示す”城> 京都・二条城170107nhkBSP
<天下人たるの“権威を示す”城> 京都・二条城170107nhkBSP

正面入り口は東大手門。

 目の前の壁が針路をさえぎり、左折して右折。ようやく唐門の前に。



 二の丸御殿があって、来城を待ち受ける。障壁画、回廊、庭園。「大名を圧倒、虎の迫力」。そうしたことではないだろうか。

二の丸御殿大広間。現在となっては「大政奉還」の意を伝達した、大広間に感慨。時の将軍の発生と諸大名の<とまどい>が届きそうな環境。

 実に、想像力&創造力を働かせすぎなるや。

 要人は二の丸御殿から本丸御殿に廊下伝えに回れる構造。庶民=観光客は入り口にもどり、下靴に履き替えて白州を歩む。

 本丸御殿。
 「3代将軍・徳川家光が、1626年( 寛永3年)に後水尾天皇行幸を迎えるため、城の区域を西側に拡げ、新たに築きました」。
 番組はその時の一大事を報ずる。
 1)東大手門を改装=2階構造を平屋構造に立て直し、階上に<ヒト>の存在なき姿に。
 2)もてなしの接待。山海の珍味を取りそろえ、<ヤマ盛り>の盛りつけ。時価に換算、20万円余の材料費。 
 3)後水尾天皇行幸の様子は屏風に。
 (建物経過)
 「1788年(天明8年)の大火で焼失しました。幕末には、15代将軍・徳川慶喜が御殿を建てましたが、1881年(明治14年)頃に取壊さ」
 「現存する本丸御殿は、1847年(弘化4年)に桂宮家が京都御所の北(今出川御門内)に建てた御殿の主要部を、1894年(明治27年)に明治天皇の意向により移築(当時は、二条城が天皇家の別荘である離宮として利用)」。
 「江戸時代の宮家の住宅建築は、全国的にほとんど残っていません」。「玄関」、「御書院」、「御常御殿」、「台所及び雁の間」の4棟で構成。

(番組案内)

 新春、国宝・二条城の金色の大広間が特設セットに生まれ変わる。二条城は、関ヶ原の戦い直後に建てられた徳川家康の城。近年研究で、“戦う”ためではなく、天下人としての“権威を示す”城だったと裏付けられてきた。幻の天守、空前絶後のスピード建築。誰がどのようにこの城を建て、どんな仕掛けを込めたのか。大河ドラマ『真田丸』石田三成役で戦国を生き抜いた俳優・山本耕史が、歴史、美術の専門家とともに二条城の謎に迫る。