ハネムーン 宮崎
 ハネムーン 宮崎.
 下のグラフはネット掲載『宮崎県のあゆみ』 第1章に掲載の「観光宮崎ー空前の新婚旅行ブームー」から.
 県内の客(緑)、県外の客(赤)、対前年増減率(折れ線)で、推移を表示.



 12日のテレビ番組で、宮崎が「ハネムーンのメッカ」になったのは、皇族の宮崎訪問が「火付け役になった」、と.
 それは良いのだが、「昭和37年から53年までに300万組が宮崎へ」と、紹介.

 はじまりはともかく、ブームの終末が昭和53年とされる要因はなにか.

 答えは新婚旅行先が、海外と沖縄に転換したかららしい.自分でもおもいめぐらしたが、「宮崎県のあゆみ」もそう書いている.

 宮崎へハネムーン.
 ブームの前には、東京なら小田急線で箱根にという時代があった.
 1971年かに岐阜県の下呂温泉で.町職員の方が嘆息.
 「みな宮崎へゆくようになり、下呂はその前段のカップル訪問地に」.

 沖縄返還.
 南国の風情は、宮崎のテーマパーク型より、沖縄の自然景観が評価されたか?.

 でわ、島津久永氏=薩摩・島津家と、貴子内親王の組み合わせが、天孫降臨の地=高千穂峰にちなむ由緒も、有意味性が高いはず.
 しかし、文化・信仰の由緒より景観に、人気か.

編集 ペン : やまないハイウエィを使ってのコースが人気だったようですね。アルバイトで旅行者にいた頃のおぼつかない知識ですが^^