二極化
 二極化。朝、起きたのが5時30分すぎ。
 今朝のETVは「さかのぼり日本史」を放映しているのかとチャンネルを選ぶと、さすがに暮れ特別番組。

 「塩こうじ」を用いた和洋おせち。
 タイミングは悪くはないが、しかし「今日の今では」などと考えたが、どうも10月中に放送の再放送らしい。

 女性二人の手順をながめながら、考えた。
 材料をくみあわせて、これぞという味をえらんで、素材のうまみをひきだしつつ、しかし見た目を箸をひきだす。
 その素材の組み合わせとその結果による効果の予測というものは、見事とおもった。
 
 それを視聴しながら、思った。
 家族のためにつくってみようという階層がある一方で、「おせち」はコンビニにも売っている。
 これを買ってくることは簡単で、しかも買ってくる人にはさまざまな事情がある。

 「おふくろの味」にかわる、「企業の味」。
 買ってきて食べるが問題ではない。買ってきたものを食べさせられる男の子にしても、女の子にしても、「親が作っていたのをみたことがない」の先には、「企業の味」を超える「おふくろの味」が生まれることになるのであろうか。

 おせちをつくることのできる階層。お金で買うことで間に合わせる階層。
 そのお金で買う「おせち」も、いまや老舗の割烹からホテル、百貨店業界。大規模小売店。はては、24時間開業のコンビニはオードブルで転用している。

 目安はなかにある「揚げ物」の比率。
 「つくっているヒマがない」、「つくらない」、「つくれない」の自主選択の域を逸脱。「つくれない」、「あることも知らない」となると、その行き着く先にある「味覚」「栄養のかたより」のうえに、「健康への懸念」はどうなるのであろうか。