米町ふるさと館
 米町ふるさと館。3連休の最終日。いただきモノの配達があって、「出かけましょう」ということになった。

 訪問先で聞かれたことのひとつ。「米町ふるさと館って、もとの商売、なんだったの?」。

 答えは以下のとおりとなるはず。
 米町ふるさと館は旧田村邸。その前身があって渡邉虎蔵商店。同商店は海岸線の漁村に生活物資を提供し、見返りに≪コンブ≫などを買い付けていた佐渡国出身のお店にして、棟梁は秋田県出身の建築物である。

 建物は明治33年に建てられたと記憶する、店舗兼住宅。移設当時の平成2年では市内最古の木造建築でもなかったが、今となっては市内最古ということにも、なるはず。

 

 保存当時は第三セクターの振興公社が管理しており、管理人にして喫茶部門を経営していたヒトは近くの住人。前述の「答え」部分を熟知したお方が「お守り」をされておられた。

 今はと聞けば、委託管理団体が移転し、当番にあたる人が交代で5キロ先、3キロ先から月に何度か交代でかけつけている、そうな。

 質問された方は申される、「たまに来訪者がくると、『私は派遣でよく知らないが、古い建物だから自由に見て言って』と、なるのだ」。

 話を聞いていて、思った。
 確かに保存したものである。住民が当時の市長に、「あなたはマチをキレイした。しかしそれは破壊の連続ではないか、ひとつくらいキチンと残しては」。新年交例会での提案が身をむすんだと、書いてある本がある。

 設置当初は、市外からの来訪者も多かった。近隣の住民も、時間ができるとかけつけて、管理人をあいてに「お茶のみ話」。それなりの売り上げがあり、維持する市の財政もそれなりに、余裕がまだ、あったことになる。

 で、昨今は「お荷物状態」になっているのかも。

 事情はいろいろある。が、建物を保存するとき、他方で活用の目的だけでなく、目的にそって維持の投資をするだけの「有意味」が必要であろう。できれば、維持の投資にみあった収入が場合によっては必要でもある。

 「米町ふるさと館」。その目的は、「建物の保存にこと寄せた地域の総合案内所」の役目がある。

 第一はトイレ。とくに冬場は公衆トイレも凍結を恐れてサービス停止しているから、有力なサービス提供源。

 第二は休息施設。周囲にある六寺一社まわりに、啄木歌碑めぐりの散歩者が、休息・データ整理に「喫茶一椀」の余裕がほしい。

 第三は「観光ボランティア」の活動拠点。
 どこに、観光ボランティア稼働の必要性があるの?。一帯には六寺一社の大手宗教法人が「甍(いらか)」を連ねる。
 固く門扉をとざした宗教法人も、聖域としてかたくなであるより先に、ガイドボランティアが引率するグル-ぷにかぎり扉を開いてはいかが?。
 宇治市。そこでは平等院には観光ボランティアの派遣はないが、黄檗宗の本山に「宇治市観光ボランティアガイド」の案内所があった。ならっては、いかが。

 第四は地域のコミュニティ事業を数多く、ふるさと館で企画してはいかが。
 新年交礼会、ひなまつりにこどもの日、霧フェステバル、港まつり、菊の展示会、観風会、もちつき、除夜。もちろん地域の町内会が交代で作業をわけあう。
 当番にあたる町内会会員や宗教法人の職員は、それこそ「沐浴斎戒」=神事、信仰としても季節行事を企画することで門前町としての「たたずまい」を形式にとどめず、躍動する宗教法人を示す機会にしてはいかが?。  「寺に参るモノが少ない」と、嘆いてばかりいないこと。

 熊本文化大学の鈴木学長はかつて、「これまでの『装置型』を、これからは『装知型」に変える」と申されたことがある。

 施設・設備の維持。権力とコストで論じても駄目なときは、文化で考えろと申す。その意味はどこにある。

 多分、「最寒三友」の松竹梅を、単に「めでたさ」「松が第一、竹が第二、梅が第三」と解する平凡さにあるのではなく、「冬に緑、雪に直立、寒に開花」の「清廉潔白」の非凡を解する市民が増えると、施設・設備はその保存意図以上に活用されるはずかと思うが、いかがであろうか。