何を信じて、食べたら
 昨日はとうとう休業。夜の会合は会費を届けて、早々寝込んだ。今朝は、相当に緩和されたが。

 昨日は、読書・テレビ・午睡。
 食物偽装。雪印、ミートホープ、白い恋人、赤福、御福餅。ここまでは国内版であったが、ミスタードーナツ提供のジュースにも賞味期限切れが判明。

 消費者市民は、「何を信じて、食べたら」。そもそも「おふくろの味」を超える「他者製品」。これが幅をきかせ、便利、うまい、安いと、愛用された。

 近隣のおじさん、おばさんが作るものから、作り手の顔が消費者の前から消えた。大量生産。急速冷凍、品質を損なわぬ解凍術。まがいものが、ほんものと、遜色なくなった。

 キリスト教の世界では、「神様がみている」。信仰が背後にあって展開したビジネス社会。商売に多忙であることから、「無信仰」を言って、はばからないビジネスマンが一杯。人、商い、見えないところでの営為に、神の目も届かなくなった。

「何を信じて、食べたら」の答えは、「信じられなかったら、食べない」ことである。