窮地が死地」
桜の花と入れ替わるように白い花を咲かせる花水木。小雨模様がよく似合う花でもあります。
元々はアメリカ原産のこの木は、明治の頃、当時の東京市長がアメリカに桜の木を送った返礼として届いたもので、その白く目立つ花は春の風物詩としてすっかり日本に定着した感があります。

 桜の季節が終わり、若葉を繁らせて木々が成長しようとする季節ですが、ぐんぐん上に伸びようとしている木を囲いの中に押し込めてどうにも上に伸びようがないようにしてしまったらどうでしょう・・・。
「困」と言う字はそんな状態を表わしているそうです。

 維新の英雄、革命期以外には使い道がないほどの天才、幾たびの絶体絶命の窮地を脱する様は雲に乗った孫悟空とも言われた ”高杉晋作” 「困った」とは決して言わず、唯一それが秘術のタネだったそうです。

以下は司馬遼太郎の小説の一節です。

(高杉は)どんな事でも周到に考えぬいたすえに行動し、困らぬようにしておく。
それでなおかつ窮地におちた場合でも、「こまった」とはいわない。
困った、といったとたん、人間は知恵も分別も出ないようになってしまう。
「そうなれば窮地が死地になる。活路が見出されなく」というのが、高杉の考えだった。
「人間、窮地におちいるのはよい。意外な方向に活路が見出せるからだ。
しかし死地におちいればそれでしまいだ。
だからおれは困ったの一言は吐かない」と・・・。

 また、今なお多くの経営者の心を掴む中村天風はおおよそ次のように言っています。

 不平不満のある人は周りを見ているようで本当は自分のことばかりを考えている。
自分だけが不幸だというように考えている。
この考え方から出てくる言葉は、必ず未練であり、愚痴であり、もう価値のない世迷いごとだけである、と。

 周りを囲い、上に伸びるのを阻害しているのは、大抵は自分自身です。