備蓄状態
 今回の震災でこちらの無事を伝える努力はしたものの、飲食料の不足を心配するひとが少なくなかったので。ここに最近は知人・友人にあまり話してなかったことを書いておきます。

 実は、今回の震災よりも前から少しは備蓄をしていました。
 その理由としては、次のような感じ。

 幼い頃から1891年の濃尾地震についての体験や日頃の用意がいかに役立ったのか事細かに聞いていたから、その対策として。
 1854年の安政地震の体験を親戚の日記で読んでいたから。
 1923年の関東大震災の体験を親戚から聞いていたから。
 1944年の東南海地震の体験を親戚から聞いていたから。
 1946年の南海道地震の体験を親戚から聞いていたから。
 1976年の安八水害の体験を学校で学び、親戚からも聞かされたから。
 1995年1月17日の阪神・淡路大震災の体験とその時役立ったものをTV報道や人から教えられたから。
 台風による河川の堤防決壊に備えて。
 近々東南海地震と連動して発生すると言われていた東海地震に備えて。
 2004年10月23日17時56分新潟県中越沖地震の様子をTV報道から知ったから。
 2007年7月16日の新潟県中越沖地震の体験を人から聞いていたから。
 2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震の報道を見て。
 2010年11月23日の延坪島への砲撃の件で、念の為に。
 そろそろ花粉や黄砂の時季なので、できるだけ屋内に引きこもる為に。(これが一番大きい理由)

 もともと台風による水害や地震に備えて用意していて、その延長でどこに住むときも多少は用意をしてました。
 具体的に、2011年3月11日の地震前から住まい1(地震や水害が起こる可能性がある地域)に備えていたものを次に挙げてみます。

◆住まい1に置いていたもの
・水(ポリタンクで水道水を1ガロン以上)
・ペット飲料(緑茶、烏龍茶などを10リットル以上)
・米(二俵以上)
・調味料(醤油、塩、砂糖など)
・レーション(7日分)
・各種缶詰(50個以上)
・乾パン(1kg)
・アルファ化米(6食分以上)
・各種乾物(乾燥わかめ、干し椎茸、高野豆腐、麩、春雨などを20kg以上)
・各種乾麺(4kg以上)
・八丁味噌(1kg以上)
・粉末味噌汁(約60杯分)
・インスタントラーメン(10個)
・各種フリーズドライ食品(20食以上)
・粉ミルク(1缶)
・ペット用ドライフード
・内服薬(胃腸薬や風邪薬など)
・消毒液
・ガーゼ
・救助笛
・携帯トイレ
・蝋燭・蝋燭立て(その蝋燭が倒れても火が周囲に広がらない大きさ)
・乾電池(単一、単二、単三、単四を各種10個以上)
・充電器・充電池(単三、単四をそれぞれ10個以上)
・懐中電灯(乾電池タイプ)
・懐中電灯(ラジオ機能付き 手回しタイプ)
・携帯ラジオ(乾電池タイプ)
・使い捨てカイロ(30個以上)
・方位磁石
・周辺地図(等高線、地名、避難場所、銭湯、河川などが記入されているもの)
・マスク
・冷却シート
・歯ブラシセット
・レインコート
・ウインドブレーカー
・寝袋
・テント用具一式
・マッチ
・卓上コンロセット(固形燃料用)・卓上用固形燃料
・アルミホイル
・食品用ラップフィルム
・使い捨て食器(紙コップ、紙皿、プラスチックスプーン、割り箸)
・ティッシュ
・ウェットティッシュ
・石鹸(旅行用の液体状のソープ含む)
・水の要らないシャンプー
・数日分の着替え(ビニールで二重以上に包んだもの)
・靴(2足以上)
・生理用品(100個以上)
・ヘルメット
・綿入り帽子
・軍手(自分の手の大きさに合ったものを20以上)
・アルミ蒸着断熱保温シート
・ブルーシート
・新聞紙
・ガムテープ
・ジャッキ
・のこぎり
・バール
・スコップ
・十徳ナイフ
・ビニールボート・浮き輪・空気入れ

 消耗品は少しずつ入れ替えているので現在の量とは少し異なるかも知れませんが、3月現在把握してる分はこれだけです。
 備蓄物はビニールで包んだ上で水に浮くものと一緒に容器に入れて纏めてます。堤防が決壊したら水没する可能性がある地域なので、屋内に浸水してもなんとかなる…といいなぁと思いまして。
 家屋が山崩れで埋まったり、倒壊して取り出せなくなっても困るので、置き場所は二階以上の高さの場所と屋外の倉庫などに分散させてます。
 便利さを考えると小型カセットコンロ用のカセットガスや灯油も一定量蓄えておきたくなるけれど、それらは災害時に火事を引き起こしそうで怖いので備蓄してません。

 親戚の間では災害用の備蓄を生活用のものとは別に置いておくのが当たり前だったので、自分でもどこに行っても一週間以上その場に居る場合は非常時用に多少の備えを置くようになってました。
 仕事場の自分のデスクにも、二日分以上の食料・飲料、アルミ蒸着シート、耐切創力強化タイプの作業手袋と帽子をこっそり置いてました。

 では、肝心の3月11日の東北で被災したときに手元にあった備蓄品を次に挙げていきます。

◆2011年3月11日の地震前に東北地方で手元に備えていたもの
・レーション(1日分) ※1
・乾物(5kg) ※1
・乾麺(2kg) ※1
・羊羹
・各種缶詰(15個) ※1
・生理用品(48個) ※1
・石鹸(携帯用のシャンプー・リンスセット含む) ※1
・食品用ラップフィルム(2本)
・ウェットティッシュ ※1
・懐中電灯(ラジオ機能付き 手回しタイプ) ※1
・懐中電灯(乾電池タイプ) ※1
・乾電池(単三、単四10個ずつ) ※2
・充電器・充電池(単三10個、単四6個) ※1
・方位磁石 ※1
・ウインドブレーカー ※1
・レインコート ※1
・蝋燭 ※1
・マッチ・ライター ※1
・着替え(2日分) ※2
・医薬品(消毒薬・風邪薬・胃腸薬など常備薬) ※1
・歯ブラシセット ※1
・親族の連絡先一覧 ※2
・身分証明書類(運転免許証、戸籍謄本、戸籍抄本)のコピー ※2
・印鑑(三文判) ※1
・東北から中部地方へ移動するのに必要な額の現金 ※1
・硬貨 ※2
・アルミ蒸着断熱保温シート ※1
・新聞紙 ※1
・軍手・作業手袋(耐切創力強化タイプ) ※2
・ビニール袋(200枚以上) ※2

 ※1 一週間以上滞在するので備えておいたもの
 ※2 延坪島への2010年11月23日午後の砲撃以降足したもの

 延坪島への2010年11月23日午後の砲撃以降じわじわと災害時用の備蓄を始めていて、ちょうど消耗品を使用して入れ替えようとしてるとこだったので備蓄食料の量は少なく、特にレーションなんて一日分だけでした。
 備蓄の中に水がないのは、置いていた水入りペットボトルが押し潰されて使い物にならなくなったのでカウントしてないからです。

 でも、備蓄以外の食料・飲料は地震翌朝の時点で4日分以上ありました。
 地震の翌日からぐちゃぐちゃになった家財を片付けながら何日もかけて食料を発掘しており、無事な食料・飲料を見付ける度に備蓄に足して何日もつか数えていたら、結局一週間は大丈夫な量がありました。
 米だけでなく小麦粉やじゃがいももありましたし、給水場所も把握しましたし、14日には電気も復旧し卓上コンロも使える状態にできたので、やりようによっては三週間分以上の食料がありました。
 なので、飲食料に関しては「流通が途絶えても暫くは大丈夫」と伝えていました…が、親戚以外は信用せず心配する人ばかり。
 普段から自分はこうしているんだと言っておくのって大事ですねぇ。親戚くらいにしかまともに話してませんでしたよ。

 流通が回復するまでに消費したので備蓄はかなり減りましたが、そのうち落ち着いたら少しずつ買い揃えておきます。
 人様の迷惑にならないようにひとつずつ、少しずつ購入していきますわ。
 消耗品は入れ替えるのが面倒ですが、役立つことがあるのはわかったので備えておきますか。