2011年3月9日からの連絡手段とその状況
2011年3月9日からの連絡手段とその状況

 ここに2011年3月9日から3月16日までにとった個人連絡の手段と状況を覚えていられるうちに書き出しておきます。
 後々、緊急時の連絡手段を考え直すときには忘れてそうなので今のうちに。
 事前に言っておきますが、大地震の時点では東北の内陸部に居た為、地震による被災状況は軽微で津波の被害は受けてません。

・3月9日昼 地震→携帯(docomoのFOMA端末)の音声通話○ IP電話○ iモード○
・3月10日朝 地震→携帯の音声通話○ IP電話○ iモード○
・3月11日14:46 地震直後→携帯の音声通話× iモード○ 留守電通知受信
・3月11日夕→携帯の音声通話× iモード△(数十分おきにメール受信できたが送信は不可)
・3月11日夜→携帯の音声通話× iモード△(メール送信エラー) spモード× インターネット○ twitterに生存報告
・3月12日朝→携帯の音声通話× iモード△(メール送信エラー) spモード△ インターネット○
・3月12日昼→携帯の音声通話× iモード△(アンテナが2本以上立つのは約一時間おき/メール送信エラー) 留守電通知受信 SNS・twitterに現状報告開始
・3月12日夜→携帯の音声通話× iモード△ インターネット○
・3月13日→携帯の音声通話△(一回だけ着信) IP電話○ iモード△ インターネット○ 留守電通知受信 FOMA端末は極力電源を落とした
・3月14日→携帯の音声通話× インターネット○ 留守電通知受信
・3月15日→携帯の音声通話× インターネット○ SNSに現状報告
・3月16日→携帯の音声通話× iモード○

 以下、上記箇条書きの中身を書き留めていきます。

 先ず、2011年3月9日11時45分ころに三陸沖を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生しました。
 そのニュースを見て、現在こちらが東北で仕事をしていることを把握している親戚や友人から安否確認の電話やメールを貰いました。
 この時点では、docomo携帯の音声通話もiモードも支障はなく、9日夕までには連絡をくれた方全てに返事ができました。
 翌日の3月10日 6時24分ころにも三陸沖を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生しましたが、このときも9日と同様に全てのひとと連絡が取れました。

 3月11日14時46分ころ、東北地方から関東地方にかけて太平洋側でマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。
 棚が倒れ、壁に亀裂が入っていくのを見て、とりあえず背の高いものがない部屋に逃げました。(揺れが収まってから見ると危険物が床に散乱しなかったのはこの部屋だけでした。)
 手に携帯(FOMA端末1台とスマートフォン1台)を握り締めていたので、持っていた携帯(FOMA端末)で東北の近い範囲にいたひと1名に生存報告兼安否確認のメールを送りました。
 そのうち揺れが歩ける程度に小さくなってきたので建物外に退避しようとしたものの、室内はガラス片を含む様々なものが散乱しドアまでが塞がってました。
 散乱したものの中から軍手と室内履きを取り出して装着し、歩けるように物をどけてどけてどけて…ドアまで辿り着けたのは16時30分過ぎでした。
 このドアまで行こうとしている間に携帯電話に留守番電話通知が何回もきましたが、何度かけてもdocomoの留守番電話サービスに繋がりませんでした。(この時、既に通話が制限されていて繋がらなくなっていたようです。)
 留守電をくださった方々には、携帯の音声通話が繋がらず留守電の内容確認もできない現状を伝え、通話ができないのでメールでやり取りしてくださるようお願いするメールを携帯から送りました。
 docomoの留守番電話サービスは1件3分で20件まで保存され、保存時間は72時間です。このときいただいた留守電は結局聞けないままセンターから削除されてしまいました。

 屋外の土地が開けたところに出た後、近隣の同様に屋外に逃げた人たちと声を掛け合い情報交換をし、そこでdocomoを含む複数の携帯キャリアで音声通話の不通や携帯メールの遅滞が発生していることを教えていただきました。(このとき、この地震で関東も影響を受けていること、周辺の道路で走行不可能になっている箇所があることやJRが止まっていることも知り、中部に戻るのは落ち着いてからにすることに決めました。)
 屋外に退避後、携帯にきていた安否確認のメールに返信しようとしましたが送信エラーになり続けました。

 夜になり、余震はあるものの一度屋内に戻りました。
 情報を得ようとしましたが、TVは画面が割れて故障、ラジオは散乱した家財のどこか、携帯は圏外になってないもののiモードでもspモードでもメールが送れない状況でした。
 停電から復旧していたのを確認して、地震であちこちに飛んでたルータなどの通信機器を再設置。インターネットが生きていたのでいただいた安否確認メールにインターネット経由で可能な限り元気に返答し、東北や関東にいる親戚・友人に状況確認を兼ねて安否確認のメールを送りました。
(具体的には、インターネットに接続したスマートフォンからiモード.netにログインしてメールを送受信。)
 docomoの災害伝言板にて無事を伝えようとしたものの災害伝言板に繋がらずできませんでした。代わりに、GoogleのPerson Finder (消息情報)に登録しておきました。
 受け取ったメールで関西まで揺れたと知らされ動揺しましたが、なんとか眠る場所を作って就寝。

 12日朝、起きてからスマートフォンで地震情報を調べ出し、3時59分ころにあった地震は長野県北部を震源とするマグニチュード6.7の大きな地震であったと知り、慌てて中部地方に住む親戚・友人の安否確認をしました。
 ラジオやインターネットでは東日本の震災の情報ばかりで中部地方の被害の情報を得られなかったので、中部地方も酷い被害を受けているのではないかと焦りました。
 このとき、頻繁に圏外表示となり音声通話の発信はできず、iモードの電波が安定せず繋がり難かったので、連絡は全てスマートフォン+インターネット+iモード.netでしました。

 昼になっても携帯の音声通話は着信できないままでした。iモードはメールを送ろうとしてもエラーばかりで、アンテナ表示は圏外とアンテナ2本(アンテナ3本中)の間を行ったり来たりしてました。
 圏外からアンテナ1本になった途端に留守番電話通知をまた受け取ったもののセンターには繋がらず録音は聞けないまま。
 通知で留守電を入れてくれたひとはわかっているので、留守電を聞けないこととメールなら受け取れるのでメールでやりとりしていただけると助かる旨を相手の携帯メール宛に送るものの返信はいただけず、同じひとからの留守電通知が溜まるばかりでした。
 前日の時点で、メールを使えるひとは皆さん電話が通じないので連絡手段をメールに切り替えてくださってました。
 この時点で留守電を入れる一方でメールの返答がない人は、普段から携帯でもPCでもメールの使用に慣れていないひとばかりでした。
 仕方がないので、留守電を入れてくださったかたのうちメールに返答いただけなかったかたの近しいひとにインターネット経由でメールを送って、そのかたの安否確認をお願いするとともにこちらの音声通話ができない状態を伝えていただけるよう頼みました。
 余震が続くなか大量の安否確認メールが届くようになり返信が追いつかなかったので、スマートフォンからIDとパスワードを覚えている全てのSNSにログインして生存報告をしました。
 メールくれてるひとのうち何人かはtwitterを見てることを思い出したので、現状を簡潔にtwitterで報告し始めました。

 夜まで音声通話の着信はありませんでした。家屋から出られずに携帯で外部に連絡して救助を待っているひとがいるらしいと地域のネットコミュニティで知り、音声通話の発信とiモードの使用を控えてました。
 安否確認のメールばかりだったのが、原発の避難区域にいないか確認するメールが届くようになりました。圏外に度々なる為かiモード対応端末の電池消耗が激しく何度も充電が必要になったので、「メール選択受信」の設定をONにしてiモードメールは極力iモード対応してるFOMA端末では受け取らずスマートフォンからインターネット経由で送受信しました。
 iモード.net、SNS、twitterと、連絡手段はインターネット経由のものだけがまともに使えてました。

 3月13日になって、物資をこちら宛に宅配で送ろうかという申し出の連絡が増えてきました。被災地で物が足りてないことや流通が途絶えていることをTVニュースで伝えていたそうです…。どこの宅配サービスも震災後は東北地方への個人向け宅配は停止している状態でしたので受け取ることも送っていただくこともできない状態でした。申し出てくださったかたでそれを知るひとは居ませんでした。
 申し出をされた最初の数人には宅配便の状態を伝えて気まずくなってしまったので、SNSやtwitterに救援の志は気持ちだけ受け取らせていただく旨を書いて回りました。
 この日はTV報道を見て普段メールをしないひとから安否確認のメールが来るようになりましたが前日前々日よりはかなりその数は減り、原発の状態を案じるメールと震災対処アドバイスメールが多数届きました。
 twitterでもフォローしているひとが震災対処アドバイスのRTをしていました。いただいたどのアドバイスも活用できない状況だったのが残念です。
 この日も、これ以上心配をかけないように、いただいたメールには出来るだけ元気に返信してました。そのほうが安心してもらえますし、結果的には受け取るメールの量を減らすことになるから。いっぱいいっぱいだったので後で自分の送信したメールを見返すのが怖いです。

 この日になって携帯の音声通話をなんとか発信できたひともいましたが、「発信者番号非通知」や「公衆電話」からの着信を拒否しているひとが多く繋がらなかったそうです。災害時、被災地からの発信は折り返しを防ぐ為に非通知になることを知らないひとが多かったです。
 電池の減りがはやいので、FOMA端末の電源は落とすようになりました。
 夜になって親戚からの電話を着信しました。地震以降全く鳴らなかった携帯が鳴ることに驚いているうちに切れてしまい、慌てて電話をくれた親戚にかけ直したら繋がりました。
 この後、留守番電話センターにかけてみましたが繋がりませんでした。着信できたのは一回だけでした。
 ずっとiモードが不安定で災害伝言板に繋がらない状態でしたが、電話をもらってから根気強くiモード接続を試したら深夜になんとか災害伝言板に登録することができました。

 3月14日になって、一時停電したものの電気が戻ったらインターネットは繋がりました。
 原発に関するTV報道を見てか、東北から中部や関西に移動するよう強く勧める親戚・友人からのメールが急増しました。
 留守電通知がまた届いたので、受信したメールを表示して読むことはできるけど自分からはメールが打てないひとたちとやりとりをしようと、SkypeやWindows Liveメッセンジャーの利用をメールで勧めてみました。マイク付きイヤフォンを購入してこのソフトをこう導入して…と説明したもののメールへの反応は一切なかったので伝わらなかったのだと思います。
 IP電話なら繋がるのではと思い留守電をくれたひとへの発信を試してみましたが、発信はできても切断されるか受けてもらえないかのどちらかでした。自分のIP電話から別の自分のIP電話の番号にかけて繋がるのは確認したので、非通知になってるのか見慣れない番号だから出なかったかだと思います。IP電話をかけた相手にはメールで自分の状態と番号を伝えましたが、これも伝わらなかったようです。
 この日は音声通話の着信は一切なく、胃が痛んで眠れなかったので翌日の夜明けまで様々なネット上のコミュニティに生存報告を書き込んでました。

 3月15日になり、原発を理由に移動を勧めるメールや東北から中部(or関西)までの各種交通機関の運行状況を知らせるメールを多く受け取りました。
 大地震から3日以上経っても未だに安否確認メールが届くので、少しでも多くの知人に伝わるように再度複数のSNSに現状報告をして回りました。
 この日も音声通話は繋がりませんでした。

 3月16日の早朝、ストレスと体調悪化がピークに。病院に行く為にも、一時的に移動することに決めました。
 これまであれだけ不安定だったiモードがこの日は快適に繋がり、メールの送受信に全く支障がありませんでした。

 あとは、関東に向かい、途中の駅で無線LANに繋いでSNSやtwitterに現在地や移動の報告をして中部地方まで行きました。
 24日に仕事の為東北に戻った頃には、docomoの音声通話もiモードも使えるようになっていました。