忘れる前に書き記す事
 先月の三十日に京外大講師を勤めている人がやるお笑いコンビのライヴに行った。
 知人が行きたいと行ったから付き合いで行ったまで。以前やっていたライヴには行こうとは思っていたが、一回機会を逃したら興味が失せてしまった。だから今回僕が行ったのは特に行く意思があった訳では無かった。
 
 昨日、親から電話があって僕と同じ薬を処方されている事や発作が度々起きている事を愉し気に語られた。
 其の内ぽっくりと逝っちゃってるのを朝発見されるかも知れ無いだとか、家には常に多数の人間が出入りしてるから身体が腐る前には誰かが見つけてくれるだろうとゆう事を笑いながら言い合う僕等。
 「頼むから僕より先に逝かないで。」とか「死なないで。」なんて言葉を涙ぐんで言い合ったりしないのが僕等親子。無理矢理冗談にして笑い飛ばさなきゃやってられない僕等親子。
 
 リルケの『若い詩人への手紙』にこんな言葉がある。
 「夜のもっとも静かな時刻に、自分自身に尋ねて御覧なさい。私は書かねばならぬかと。」
 僕の答えは「然り」では無く、「否」。
 僕に書く事は求められて居ない。僕は書き付ける行為を強要されては居ない。
 唯、僕は忘れ無いように記すだけ。其の日にあった事、僕が知った事、僕が忘れたい僕の感情を。