不是
 嗚呼、矢張り…そう思ってしまう。
 通じる言葉では無かったみたい。ほら、だから文章の意味を間違って解釈されている。

 他人の事なんて言えず、僕の文章こそまだまだ別の解釈が成り立つのだと気付いてしまった。
 一々間違った解釈される度に「そうでは無い」と理解して貰おうと同じ事を別の言葉で言い直すのに疲れたから、通じる相手と話すと嬉しくて通じ無い人の事を忘れてしまう。
 情報の範囲の違いを忘れて居る事や、自分の持つ情報の過信、其等を指摘するのさえ面倒に思える。