「パール・ハーバー②」
<<ハワイ>>--オアフ島--


様々な魚雷群が、湾内の芝生の柵のように、あちこちにたくさん置かれていた。

日本軍の魚雷なのか、アメリカの物なのか、時間が無く、ゆっくりと説明文を読んでいる暇が無かった。

顧みれば、1941年12月6日未明、日本海軍は、アメリカの主要海軍基地であるこのパール・ハーバーに、航空母艦から発進した戦闘機による爆撃で、主力艦船アリゾナを含むアメリカ艦船や軍事基地に、多大な打撃を与え、初戦を大勝したのであった。

攻撃当日はアメリカは日曜日とあって、全く不意を付かれた奇襲攻撃であったのだ。

こうして太平洋戦争は勃発したのだが、所詮眠れる獅子アメリカを目覚めさせてしまった日本は、ミッドウェー海戦の敗北を期に、劣勢を余儀なくされたのは、周知の事実である。

当時3才であった私は、物心付いた頃には、東京空襲の憂き目に会い、子供心に防空壕の中から毎夜飛来するB29の空襲を目撃しながら、早く大きくなってあのB29を、ゼロ戦に乗ってやっつけたいものだと、歯軋りをしていたものである。