2026年03月の記事
2026 03/04 10:02
Category : 記録
(承前)ただ、住民は納得していなかった。島根に編入された鳥取の如く、内務卿に予讃分割の建議書を提出する。(下図「読売新聞」OnLine
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20220228-OYT8T50157/)
曰く。「伊予ハ山多ク、讃岐ハ平野多シ、故二人情大二異リ、其生スル所ノ産物モ亦大二其趣ヲ異ニシ、一州二便ナル者必ス一州二便ナラスシテ往々呉越の思アリ、其例遠ク徴スルニ及ハス」と。
そこを愛媛県生涯学習センターホームページは「香川は面積や人口で愛媛県に比べて少なかったとはいえ、経済開発は進み、貢租の負担のうえで不満があり、県庁のある松山に遠く、統合当初から感情問題を生じていたほど」と、前掲書を引用する・
そこで1980年に全国府県調査が始まり、84年末に出版され『興業意見』には、香川県自体の記述がみられない。
記載のように香川県は、明治9=1876年8月~明治21=1888年12月3日は愛媛県の一部であった。
故に「【1888年】12月3日は香川県の独立記念日」とする記載がある。
https://yousakana.jp/kagawa/
【1888年】12月3日は香川県の独立記念日 – December 3rd is Independence Day of Kagawa pref. | 物語を届けるしごと
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20220228-OYT8T50157/)
曰く。「伊予ハ山多ク、讃岐ハ平野多シ、故二人情大二異リ、其生スル所ノ産物モ亦大二其趣ヲ異ニシ、一州二便ナル者必ス一州二便ナラスシテ往々呉越の思アリ、其例遠ク徴スルニ及ハス」と。
そこを愛媛県生涯学習センターホームページは「香川は面積や人口で愛媛県に比べて少なかったとはいえ、経済開発は進み、貢租の負担のうえで不満があり、県庁のある松山に遠く、統合当初から感情問題を生じていたほど」と、前掲書を引用する・
そこで1980年に全国府県調査が始まり、84年末に出版され『興業意見』には、香川県自体の記述がみられない。
記載のように香川県は、明治9=1876年8月~明治21=1888年12月3日は愛媛県の一部であった。
故に「【1888年】12月3日は香川県の独立記念日」とする記載がある。
https://yousakana.jp/kagawa/
【1888年】12月3日は香川県の独立記念日 – December 3rd is Independence Day of Kagawa pref. | 物語を届けるしごと
2026 03/03 06:50
Category : 記録
香川県、二度消えて二度復活と 全国一小面積にして、沖縄除き最も遅く県移行260303
前日朮の「離れて居ても同じ県で不都合が多い」は、たちまち「置県後の統廃合」を促すことになったか。
1873年2月 高松県、丸亀県、倉敷県、津山県域=「旧(第一次)香川県か」は「(明治4=71年11月、名東 めいとう 県=阿波と淡路の合併)と改称済の徳島県に1875=明治7年9月まで編入される。
https://www.pref.tokushima.lg.jp/japanese/about/history/
つまり名東県が管轄した時期は明治4=71年11月~同7=75年9月まで。75年9月には名東県が分離され、「旧(第2次)香川県」が成立する。
でわ1875=明治7年9月からの県名は旧高松県の中央、香川郡を県名にしたものながら、明治9=1876年■月、今度は愛媛県に編入される。
この判断を『愛媛県史 地誌Ⅰ』(総論)(昭和58年3月31日発行)は、「明治政府の地方行政策のうえで、四国が面積的に広く、二県に統合することが合理的だと考えられたにすぎない」とする。
ただ、住民は納得していなかった。島根に編入された鳥取の如く、内務卿に予讃分割の建議書を提出する。(下図「読売新聞」OnLine
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20220228-OYT8T50157/)
曰く。「伊予ハ山多ク、讃岐ハ平野多シ、故二人情大二異リ、其生スル所ノ産物モ亦大二其趣ヲ異ニシ、一州二便ナル者必ス一州二便ナラスシテ往々呉越の思アリ、其例遠ク徴スルニ及ハス」と。
そこを愛媛県生涯学習センターホームページは「香川は面積や人口で愛媛県に比べて少なかったとはいえ、経済開発は進み、貢租の負担のうえで不満があり、県庁のある松山に遠く、統合当初から感情問題を生じていたほど」と、前掲書を引用する・
そこで1980年に全国府県調査が始まり、84年末に出版され『興業意見』には、香川県自体の記述がみられない。
記載のように香川県は、明治9=1876年8月~明治21=1888年12月3日は愛媛県の一部であった。
故に「【1888年】12月3日は香川県の独立記念日」とする記載もあるほどなのだ。
https://yousakana.jp/kagawa/
前日朮の「離れて居ても同じ県で不都合が多い」は、たちまち「置県後の統廃合」を促すことになったか。
1873年2月 高松県、丸亀県、倉敷県、津山県域=「旧(第一次)香川県か」は「(明治4=71年11月、名東 めいとう 県=阿波と淡路の合併)と改称済の徳島県に1875=明治7年9月まで編入される。
https://www.pref.tokushima.lg.jp/japanese/about/history/
つまり名東県が管轄した時期は明治4=71年11月~同7=75年9月まで。75年9月には名東県が分離され、「旧(第2次)香川県」が成立する。
でわ1875=明治7年9月からの県名は旧高松県の中央、香川郡を県名にしたものながら、明治9=1876年■月、今度は愛媛県に編入される。
この判断を『愛媛県史 地誌Ⅰ』(総論)(昭和58年3月31日発行)は、「明治政府の地方行政策のうえで、四国が面積的に広く、二県に統合することが合理的だと考えられたにすぎない」とする。
ただ、住民は納得していなかった。島根に編入された鳥取の如く、内務卿に予讃分割の建議書を提出する。(下図「読売新聞」OnLine
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20220228-OYT8T50157/)
曰く。「伊予ハ山多ク、讃岐ハ平野多シ、故二人情大二異リ、其生スル所ノ産物モ亦大二其趣ヲ異ニシ、一州二便ナル者必ス一州二便ナラスシテ往々呉越の思アリ、其例遠ク徴スルニ及ハス」と。
そこを愛媛県生涯学習センターホームページは「香川は面積や人口で愛媛県に比べて少なかったとはいえ、経済開発は進み、貢租の負担のうえで不満があり、県庁のある松山に遠く、統合当初から感情問題を生じていたほど」と、前掲書を引用する・
そこで1980年に全国府県調査が始まり、84年末に出版され『興業意見』には、香川県自体の記述がみられない。
記載のように香川県は、明治9=1876年8月~明治21=1888年12月3日は愛媛県の一部であった。
故に「【1888年】12月3日は香川県の独立記念日」とする記載もあるほどなのだ。
https://yousakana.jp/kagawa/
2026 03/02 10:53
Category : 記録
香川県、二度消えて二度復活と 全国一小面積にして、沖縄除き最も遅く県移行260302
『興業意見』総目録で「巻二十四 地方十」の「南海道」は和歌山県、徳島県、愛媛県、高知県で、香川県がない。
『興業意見』の編さんは1980年に始まり、84年末に出版されている。
その間に、香川県の母体である讃岐国は、時代の推移に揺れた。
江戸末期。讃岐国に高松、丸亀多度津の大名家領、さらに津山の飛び地と天領があった。
明治4年7月14日 廃藩置県が施行され、旧大名家領=廃藩に、府県が設置=置県された。
讃岐国
高松 →高松県
丸亀 →丸亀県
多度津 →倉敷県
天領 →倉敷県
津山飛地 →津山健
結果、「北海道に1使、東京・大阪・京都に3府、そして全国に302県が置かれた。
ために、飛地であった旧大名家領がそのまま新しい県となり、離れて居ても同じ県で不都合が多い、とされた。
『興業意見』総目録で「巻二十四 地方十」の「南海道」は和歌山県、徳島県、愛媛県、高知県で、香川県がない。
『興業意見』の編さんは1980年に始まり、84年末に出版されている。
その間に、香川県の母体である讃岐国は、時代の推移に揺れた。
江戸末期。讃岐国に高松、丸亀多度津の大名家領、さらに津山の飛び地と天領があった。
明治4年7月14日 廃藩置県が施行され、旧大名家領=廃藩に、府県が設置=置県された。
讃岐国
高松 →高松県
丸亀 →丸亀県
多度津 →倉敷県
天領 →倉敷県
津山飛地 →津山健
結果、「北海道に1使、東京・大阪・京都に3府、そして全国に302県が置かれた。
ために、飛地であった旧大名家領がそのまま新しい県となり、離れて居ても同じ県で不都合が多い、とされた。
2026 03/01 05:50
Category : 放送
この文化、北海道にあるや? 「(鳥取県)ふるさとキャリア教育」260227NHKG
令和7年が三度目にあたる「ふるさとキャリア教育フェスティバル~子どもの学び 発信・発見!~」が、開かれたと。
なかで、三朝小学校の発表した「日本一危険な国宝~国宝投入堂~」の30秒CMが、「CM賞」授与された。
そんなニュースに接し「あの国宝」のことだ。そこと即座に結合した。
「三徳山三佛寺投入堂」。実に<断崖絶壁に建つ御堂>なのだ。
「どう建てた?」「どう管理?」「なんのために?」。次々、疑問が過る。
験者が往昔から修行で詣でる。「活きておる」。
ところで「ふるさとキャリア教育」とは、なにか。県のHPに三項目が記載。
1)ふるさとに誇りと愛着持ち、鳥取をさらに発展させていく意欲・意志を持った人材育成を目指す取組、
2)発達段階に応じ地域に根差した学びを実践。
3)学びを通じ、将来どこにいても心にふるさと鳥取を抱き、自分らしい生き方を確立していけることを目指す。
令和7年が三度目にあたる「ふるさとキャリア教育フェスティバル~子どもの学び 発信・発見!~」が、開かれたと。
なかで、三朝小学校の発表した「日本一危険な国宝~国宝投入堂~」の30秒CMが、「CM賞」授与された。
そんなニュースに接し「あの国宝」のことだ。そこと即座に結合した。
「三徳山三佛寺投入堂」。実に<断崖絶壁に建つ御堂>なのだ。
「どう建てた?」「どう管理?」「なんのために?」。次々、疑問が過る。
験者が往昔から修行で詣でる。「活きておる」。
ところで「ふるさとキャリア教育」とは、なにか。県のHPに三項目が記載。
1)ふるさとに誇りと愛着持ち、鳥取をさらに発展させていく意欲・意志を持った人材育成を目指す取組、
2)発達段階に応じ地域に根差した学びを実践。
3)学びを通じ、将来どこにいても心にふるさと鳥取を抱き、自分らしい生き方を確立していけることを目指す。