平出幸吉家に大正末期の難色 小説『海霧 UMIGIRI』読むキーワード240322 (2)
平出幸吉家に大正末期の難色 小説『海霧 UMIGIRI』読むキーワード240322 (2)

「ぶぶる釧路の街歩き」,その起点は釧路駅。
現在は乗降改札口のところに3個のスタンプが用意されている。参加の章に今回は、一個のみ押印。
さて、出発。と申しても、正面入り口の外に出てみることではあるが。

紹介の一のポイントは原田康子著『海霧 Umigiri』エピローグの一節。
1930年6月、東京からの列車が
「厚内の短いトンネルをぬけ」
「海は濃霧にとざされていた」情景でむすぶ。
「二歳の曾孫は毛布にくるまれて、ふたり掛けの椅子をひとりで占領」という形で、自画像を示す。

 原田邸
  大正二年七月長兄宗二郎没後は、遺嗣テツ子氏尚幼なるため原田家を後見し益々業務の拡張を計り、欧州大戦勃発以来は財界の好況に乗じ盛んに羽翼を張りて巨利を博し、原田家の資産を幾倍増加せしめたり、現に同家及関係会社の市街宅地は六萬坪以上に達し釧路第一の大地主なり、近来東京株式市場に大活躍を試み東京に於ける斯界の大手筋なり、最近工費三十餘萬円を投じて宏壮なる店舗及び邸宅を新営し、釧路河口に一大美観を添へたり。長兄宗二郎氏の遺嗣テツ子氏東京目白女子大学に在り、(略)
(古川忠一郎『釧路発達史』(1923年)→「付録  事業及人物」 p7~8 の「千賀竹三郎」項に記載)