知恵結晶=「日田・小鹿田焼」「佐賀平野・クリーク」「小鹿田=おんた」  「筑紫次郎・筑後川~流域の知恵~」231125
 知恵結晶=「日田・小鹿田焼」「佐賀平野・クリーク」「小鹿田=おんた」  「筑紫次郎・筑後川~流域の知恵~」231125

 それは永年にわたり蓄積された知恵の結晶ではないか。
 日田市皿山・小鹿田焼の里に始まり、「アユの手づかみ漁」「米どころを潤す3連水車」「かっぱ伝説」。
 佐賀平野に入ると「クリーク」と呼ばれる水路が縦横無尽に走る。

 「クリーク」は、水を溜めて田畑に引き入れてきたモノ。
 戦国時代には城を守るお堀の役割も果たし、交通手段の乏しい時代には、水運にも利用、と。
 現在は、地域に欠かせない防災の要にも。そう紹介されている。

 世に「薩長土肥」。維新政府の発足にあたり、肥前・鍋島家の対外国情報、科学技術の巣潤、軍事の見識。侮れないものが、あったとされる。
 「クリーク」は今日、海抜が低い佐賀平野ではたびたび洪水に見舞われるので、「雨水をためる防災ダムとして、クリークを活用」とも。

 「小鹿田」。かく記載して「おんた」の読みは、理解できなかった。そのあたりについて。
 「昔はここの土地が狭く荒地が多いことから『鬼』の字が用いられ『鬼カ田』」『鬼ガ田』と表記されました」。
 
 「また鹿の生息地でもあることから『鬼鹿田』となりさらに『小鹿田』と変化していった」。
 https://www.welcomekyushu.jp/article/?mode=detail&id=474
 かく、言われているようである。