戦争はさまざまな<極貧生活>を国民に強要する」 高等教育機関で「釧路と戦争―暮らしの中の十五年戦争」を230620
「戦争はさまざまな<極貧生活>を国民に強要する」 高等教育機関で「釧路と戦争―暮らしの中の十五年戦争」を230620

 千田夏光氏は『従軍慰安婦』で、「戦争は人間を非人間的なものにする時間」と書いた。
 日中戦争を三期にわけて、執拗な調達を記載したのだと受け止める。
 「ミッドウェー海戦」を転機に、戦局は日本軍の敗退段階に位置するということだ。

 往時、マグロの水揚げに湧いた釧路港で、その漁業の終焉を刻する。昭和17年のこと。
 漁船の応召。つまり調達がすすみ、釧路漁業は資源温存機に入ることになった。
 国民の物資不足は極限に近づく。威勢のよかった『写真週報』の記載は「戦勝」から「代用食」を経て、「防空壕の創り方」「防空演習」へ転ずる。

 ここまで綴った、「佐藤貴之枝 1890年生まれ 厚岸町で語った-2.太平洋戦争3-」。
 語りの内容と、語りの内容を思われる=戦後、我が家に残っていた戦時の記録。
 そこをここでは、五項目。極めつけは「生命保険に入っていたが、戦後インフレで貨幣価値が、まったくなくなって・・・・・・」。

 ⑩佐藤貴之枝 1890年生まれ 厚岸町で語った-2.太平洋戦争3-
 17)(茶箪笥)残余の衣料切符&割引国庫債券証書。
 18)「復員後の義昭は部落会長に推され奔走」。
 19)「川田さんの息子さん、180529アツツ島玉砕で戦死された」。
 20) 194402日蓮丸厚岸沖89km沈没、遺体・遭難者正行寺
  収容(のち四男は「千島派遣船から除外と=理由不明)」
 21)200714尾幌国民学校空襲「(そのとき)お前、小さくなっていた」。