「源平合戦図屏風 一ノ谷・屋島合戦図」(六曲一双)の半双で、鎌倉国宝館の記載では鶴岡八幡宮所蔵作を列品しているようだ。
 「源平合戦図屏風 一ノ谷・屋島合戦図」(六曲一双)の半双で、鎌倉国宝館の記載では鶴岡八幡宮所蔵作を列品しているようだ。

 第四展示室が「企画展 北条氏展vol.2 鎌倉武士の時代―幕府草創を支えた宿老たち―」の展示場に宛てられていた。
 二つのテーマで構成されている。そう受け止めた。
 1)「度重なる合戦で目覚ましい活躍を遂げ」「(戦時から平時へと移行後は)鎌倉幕府を支える人々の『文』の側面も重要視」を提示。
 2)「武士が持つ和歌や信仰などの『文』の側面にも注目」

 世に「鎌倉殿十三人」とするが、そこは二つのグループで大別される。
 「中原親能(57) 大江広元(52) 三善康信(60) 二階堂行政・・・文筆吏僚」
 「北条時政(62) 北条義時(37) 和田義盛(53) 比企能員 安達盛長(65)
  三浦佳澄(73) 梶原景時    八田知家    足立遠元 ・・・東国武士」

 中原ら文筆吏僚は、「朝廷で実務経験を積んだのち、新天地の鎌倉へ」「頼朝の右筆、京都と鎌倉の窓口、寺社の奉行として能力をいかんなく発揮」。
 文筆吏僚なくして鎌倉幕府の存続はありえなかった、とする。
 (「幕府を支えた京下りの吏僚たち」 鎌倉歴史文化交流館『企画展 北条氏展 北条義時ハンドブック』)

 屋島合戦図では、海上の船に掲げられた扇を射落とす那須与一や、海へ落とした弓を武士の誇りを掛けて拾い上げる源義経などが描かれます。
 源平合戦図は室町時代から江戸時代に至るまで多く制作され、一の谷と屋島合戦の組み合わせはそのなかでも典型的なものです。

 本図では人物を比較的大きく描きながら、群衆や船団の描写を随所に配置して、合戦のもつエネルギーの表現に努めています。なお両隻には狩野吉信の落款、印章がありますが、埼玉県川越市の喜多院に所蔵される「職人尽図屏風」を描いた吉信と同一人物ではないようです。