「そこへ家屋が倒れて」 450714釧路空襲
 「そこへ、家屋が倒壊」 450714釧路空襲。



 7日土曜日の朝、ドラマ『あぐり』の冒頭は「庭に防空壕をつくる場面」。
 それをみていて思い出した。
 「釧路空襲で自分は、指示通り庭の防空壕に逃げ込んだ」「待避中に家が焼け落ちてきて、私は壕の中で『蒸し焼き』状態に」。
 1973年の聴き取り時点。表情には往時の火傷痕が、実になまなましく残っていた女性。

 都市の平地で、空襲対策のため防空壕を用意せよとは『戦時画報』というニュース誌で、1947年ころ特集されていたと、記憶。
 民家では、指示にそってその作業をすすめた。ドラマの場面は寡婦となったヒロインを助けて、亡夫の友人が壕を掘るシナリオ。

 米軍の本土空襲。本邦では備えて3点の訓練が、実施されていたはず。
 1)家屋焼失に備えた消火、2)上陸に備えて竹やり、3)防空壕避難。以上3つの訓練。
 「語り部の女性」は、3)防空壕避難の指示通り行動するも、予期しなかったのは自分の家が倒れて、逃げ場を失いの事態。

 数年前。隣国から太平洋上に発射されたミサイルが、襟裳岬を通過したことがあった。
 政府は「国難、この危機を救えるのはわが党」。総選挙に打って出て、勝利した。
 
 ミサイル発射の報に、「国民は十分に注意を」。そう声高に叫んでしたが。
 叫びを聞きつつ、昭和20年7月14日の釧路空襲で、被災した女性の談話を思いかえしていた。
 「どう、注意すればよいのか」。政権は外交交渉で、「発射抑止」を具体化することが使命では。

 その隣国との外交。総選挙の前も、後も。相手国との交渉すらアメリカ合衆国頼みではないか。