往時は日本海のタラ、今はエチゼンガニ 越前海岸1969年
往時は日本海のタラ、今はエチゼンガニ 越前海岸1969年。



 タラの旬の時期 1月から2月。日本海は荒れる。わずかなナギの日を選んで出漁。」

 大人3人が出漁して年間500万円の水揚げと。この中から船主、網元の取り分もある。

 「穏やかな日を待つ!!」「漁がなければ、寂しい」「船頭には舟乗りの、そしてその家族の生活がかかる」。

 「若者流出、越前海岸」。
 夫が出漁、漁獲のエチゼンガニを妻が購入して、行商に出る。夫の漁のみでは生活が厳しい。
 1969年。商品を小型トラックでマチまで運び、妻たちは路線バスで、追いかける。

 厳しい冬が終わると、春。
 エチゼンスイセンの出荷が始まる。京都・大阪のお得意さんが待つ。当時はムラ全体で800万円
 「自然はやさしい側面も見せる」とナレーター。
 60歳以上の高齢者がスイセン栽培と出荷に奔走。慢性的人手不足は、若者の離村した今こそ、深刻。

 最初の放送から50年。
 冬の日本海、キバをむいて襲いかかる冬の海にはかわりがないが。
 タラ漁にかわりエチゼンガニの出荷に、光りがあたる。

 マチの加工工場。老婆が携帯電話を取りだして、かかってきた電話に応対。
 「(売りに)行かぬとわざわざ、買いにくる」「買いに来る以上、辞めるにやめれん」。

 往時の船頭は代替わり。村の成人式にも、村人で出席する該当者はわずかに一名。

 「新日本紀行 越前海岸」。往時は総合テレビ。最近、4K放送用をハイビション放送で視聴。

(以下、番組案内)
 強風や荒波が打ち寄せる福井県の越前海岸。
 日本海特有の荒れた海で漁を続ける男たちと、獲れた魚を売り歩く女たち。
 この土地に暮らす人々の力強い暮らしぶりを見つめた。

 50年後、ふたたび訪ねると、海沿いの丘では変わらず水仙の栽培が行われていた。
 越前海岸の人々の厳しい自然とともに生きる日々が続いている。