「野菜料理に手のこんだ旨さ」 熊倉功夫著「大寺の美味・精進料理」200730
​​ 精進料理と申すと天龍寺を思い出す。
 春は桜、秋は紅葉の季節に訪問すると、庵の入り口に「今日の予約は満席です」の掲示。



 やはり禅寺と申すと「精進料理」。その極意を示すの一章。
 1)「美物」と称される魚鳥料理からみて粗末な精進料理を、独特の料理感覚で野菜料理の妙を創造(37p) 
2)「野菜料理に手の込んだ旨さ」=茹で物は新しい料理で、出し汁で十分に味付けされのされた汁で煮込まれる(37p)。 
3)(中世の京都の寺院)「精進料理は寺院の内部で僧侶たちの生活をいちじるしく向上させたはず」(38p)

 すなわち、「限られた材料で贅をこらした料理が料理が試みられた」、と。精進が僧の修行の一翼にして、「モノを含めて生命力を最大限に引き出す」、「有効に活かす」の側面。

 39ページに『庭訓往来』の引用が出てくる。引用の箇所は「仏寺の正餐である<斎=とき>に供された<汁>をあげる。
 実はこの本に、北海道産の昆布が日本海側の湊に運び込まれる記載があったはず。

 著者は「中国風料理の一つである豆腐が和風化されて人気があった様子」と、紹介。そのポイントに豆腐汁を記載している。

 汁の旨味。
 それが京都で話題になったころ、実は、蝦夷地産昆布が京に普及し、支持された時代と重なりあうように、おもえる。
 味のみならず<妙>と,
いうべきや。(『京料理 千二百年 和の味の追及』 日本放送出版協会 2004年4月)。​​