扁形の要因はなぜ 釧路駅前のイチイ樹木
 扁形の要因はなぜ 釧路駅前のイチイ樹木。立派なイチイ。
 市内には釧路駅前、幣舞ロータリー=循環式交差点に据えられているのであるが。

 その樹木に異様が発生してはいまいか。幣舞ロータリーのイチイは先端部が枯れて、葉がない。ある意味、丸坊主。



 釧路駅のイチイは車線側の枝、葉ともに減少し、非車線側の駅舎方向の枝葉が辛うじて樹木の生体を維持する力を保っているかに見える。そうでは、あるまいか。

 それというのもツツジの植え込みで、車線に近い植え込みはかつての花の蕾が姿を消して、「葉の多いツツジ」に転じている。

 釧路駅前のイチイは、1972年かに移植された。
 移植当時の話題では羅臼、つまり知床半島の山中にあった樹齢1000年ほどの樹種を移植したということが言われていたように、記憶。

 まもなく2022年。移植後、半世紀を迎える頃にはまだ<けなげに>生きてくれてはいても、往時のバランスのとれた銘木も、いまやその扁形ぶりは否定しがたいのでは、ないだろうか。

 考えてみよう。多くの広葉樹にかこまれ、風を遮ってもらって、育った。落ち葉が腐葉土となって、供給される窒素、リン、カリ成分のバランスがよかったからこそ、ヒトあこがれる銘木となった。

 無情にも移植され、都心のシンボル樹木に。さて、移植をくわだてたのち、どのような管理が構想されていたのでありうか。

 それを超える交通量。誰に責任?。それはともかく、排気ガス社会が人類にも影響を、必ずや及ぼす。そのシンボルではと思うとき、市民は等閑視を許されないのかも。いかがであろうか。