よみがえる緑、記憶文化財「空襲被災跡地」
 よみがえる緑、記憶文化財「空襲被災跡地」。栄町七丁目1地番地の栄町平和公園。

 緑樹に囲まれ粛然と碑が立つ。釧路市平和記念塔。
1945年7月14日、15日。あわせて8度の米軍空襲をうけた。



 中小都市各地でも被災。
それでも<戦い継続>。その新年はかわらなかった。先立ち6月23日、沖縄決戦、3月10日大都市空襲。

 老若男女に生産年齢階層の女性。
つまり非戦闘員に犠牲を出しても、広島の原爆でも<戦意転換>は、なかった。

 狭められた包囲網。
 そこまで来るに、レイテ沖海戦もあれば、カダルカナルでも、硫黄島でもサイパン島でもアツツ島でも<玉砕>があった。

 止められなかった戦争、やめられなかった戦争。
 知性も判断力も、自国の資源力も限界を超えていた。政権も、メディアも識者も、隣組も。<総動員>を引き出し、許容した<力学>は、なにか。

 2019年7月17日。
 被災の跡はとおのき、緑樹がよみがえり、攻撃機の爆音は夕暮れに聞こえ出す繁華街の音量と奇声にに消えている。