出かけてゆきます 豊頃町二宮190620
 出かけてゆきます 豊頃町二宮190620.二宮は豊頃町の西部に位置しています。

 北海道道湧洞豊頃停車場線と同じく尾田豊頃停車場線の交点が目安です。「二宮簡易郵便局」という機関も地図に図示されています。

 平地と丘陵の間を牛首別川 ウシシ・ペツ川が流れ、この川に「小川」という川、北部には山蔭川=「やまかげかわ」と読むのでしょうかねー。流れています。



 豊頃町の町勢要覧では、二宮を次のように紹介しています。
 「この地区は川沿いから開拓が進められました」。
 「明治27年(1894)頃から富山県人や広島県人が入植を始めています」。
 「明治29年(1896)二宮尊親興復社社長らが石狩や富良野付近を調査の後、十勝平野の調査に大津から入りました」。
 「望みの土地がなかなか見つからず、最後に二宮地区を探検調査しました」。
 「ようやく念願の土地を見つけ、二宮地区を事業地と決定し、入植を開始した」。
 「明治34年までの5年間で160戸が入植」「農地844ha、橋61個所、道路13,200m,排水溝51,000mを造成」。
 「その他宅地や防風林、薪炭用林など1,345町歩(約1,345ha)の二宮大農場が完成しまし」。

 榎本守恵先生が、『北海道開拓精神の形成』((雄山閣、1976年)という本のなかで、この二宮に入植した興復社の組織と営農の推移を紹介して、全国的に知られることになりました。
 『北海道の研究 第5巻』近・現代篇Ⅰ にも榎本先生の「北海道開拓精神の成立」が、収録されています。