春採炭輸送路と釧路港修築碑旧跡 鶴ヶ岱チャランケチャシ跡190418
 春採炭輸送路と釧路港修築碑旧跡 鶴ヶ岱チャランケチャシ跡190418

 春採湖畔に突出する標高10メートルほどの丘頂+ナラの樹林+陸繋島。そういえば、それだけの事ながら、人文学的にはさらに情報が内在。



 桟橋が二本の跡には、かつて春採炭を湖上輸送した舟の航路があったはず。
 現在の仏心寺脇にあった坑口から出された石炭は、この陸繋島の位置で陸揚げ。ここから駄送して現在の仏舎利塔ー湖陵高校の丘を介して釧路川に運ばれた。

 この陸繋島に「釧路港修築碑」が建立された。建立は明治42年。設置者は滋賀県出身の商業者集団で「近江商人」の一団。
 碑は昭和27年3月4日の1952年十勝沖地震で倒壊するも、昭和38年に米町公園に移設された。碑面に記載で予測した「港にあつまる船のマストが林立」のサマを、碑の背面に具体化した姿を示したい。そうした思いで、移設に踏み切ったのだと。

 観音像5体。醍醐寺・室生寺などの札所相当の観音像がならぶ。.
 第10~12、20、22番の五体で、それぞれの霊場を模すこともうすまでもなし.宇治・伏見・大津・京都右京区・茨木を巡ることになる。

 現地で明示することのできない潜在情報。すでに釧路港修築碑の建立位置など、記録を探さねばなるまい。