天平二年正月13日 この日、梅見の宴
 天平二年正月13日 この日、梅見の宴が催された、と。

 昨師走の20日、太宰府政庁跡を訪問し、展示館でジオラマ展示をながめ、ボランティア解説員の方の解説を承った。



 太宰帥(だざいのそち)とされる長官=大伴旅人を中心に在勤の官人が歌会を催し、時の32首が万葉集に掲載。

 いま、その序が注目されることになったのだ。記憶では「黄色」の衣冠の旅人がUの字の底部に着座。

 旅人を軸に八色の役衣をまとう官人が梅樹を背に詠歌に余念がなかった。
 展示写真は太宰府展示館HPによらざるをえないけれども、「天満宮が著名になっても、902年=10世紀のこと」「こちらは、遡る170年まえの故事」。

 内なる民も、外つ国のヒトも、思いは天満宮ながら、ひっそりとした太宰府政庁跡に歴史の注目点がこめられている。

梅花三二首幷序
天平二年正月十三日、卒于帥老之宅、申宴會也。
于時、初春令月、気淑風和、梅折鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾蓋、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。
庭舞新蝶空歸故鴈。
於是蓋天坐地、促膝飛觴。忘言一室廼嚢、開衿煙之外。
淡然自放、快然自足、若非翰苑何以攄情。
詩紀落梅之篇。
古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。