高校体育館の片隅に 島義勇屋敷跡
 高校体育館の片隅に 島義勇屋敷跡.所在地は佐賀市与賀町1343ということか.

 佐賀城跡にある新装の「島義勇銅像」から「徒歩で5分」と、しておこう.



 浄土真宗本願寺派の寺院右手の取り付け道路が目印.約150メートル進む.

 1)家臣子弟、2)弘道館に学ぶ、3)蝦夷地探索を命じられる、4)北海道開拓使判官、5)明治7年刑死.

 北海道ではその業績が高く評価されるも、江藤新平と共に、佐賀の乱の指導者として不遇.
 副島種臣とは従兄弟されているが.文政5年の産まれ.

 屋敷跡と表示されているのは「明治になって生活」した地とされる.

 佐賀清和高等学校の屋内体育館がせまってきてる.その一隅に顕彰のモニュメントが配置.

 生誕地は「佐賀城下の精小路」、さて、どこでしょう.