犠牲者の集中 8905下北半島・大畑.
​​犠牲者の集中 8905下北半島・大畑.『蝦夷地一件』かに記載の寛政元年「クナシリ・メナシの戦い」.

 松前家臣1名を含め、71名の本州側犠牲者を生みだした.うち現在のむつ市大畑では29名の死者を数える.



 当時の人口は調べているも、犠牲者の4割強を一村が占める.

 戦い発生のクナシリで3名、対岸のシベツ&シベツで18名.こちらは季節的出稼ぎ.他方で輸送舟の乗員で6名が犠牲となった.これに隣接の正津川=2名をくわえて31名.

 さらに下風呂=3名がくわわると、<斧を形容される>下北半島<北通り>の津軽海峡側で半数近い比重を占めることに.

 <表>中にある「安渡」は<あんど>と読み、現在のむつ市大湊浜が相当する、と.出稼ぎ者の出身地では松前の21人を大きく上まわり、この二つで<津軽半島><秋田>を圧倒する構成.

 事件の発生は早くから知られていること.エクセルを使い図化すると、短時間で構造が提示できる電子データの時代.