旧阿寒川の氾濫原 駅裏・共栄


旧阿寒川の氾濫原 駅裏・共栄
 「沼があったと、言いますが」.小学生のお尋ね.

 どこにあったかと聞かれると困るが、昭和25年ころを記録したとみられる手製の図面をみると、確かに沼が.

 大正7年、阿寒川の出口を現在の新釧路川の地点に切り替えた.それまで阿寒川は、大きく蛇行しながら釧路川に流入していた.

 その間に蛇行で産まれた沼、一帯が泥炭地で産み出された沼.

 あらためて概観するに、太平洋に面した砂丘、釧路川の河岸.そこに囲まれつつ、遠慮なく供給される急流河川の増水.

 阿寒川の氾濫原がうみだした複雑流路.砂丘に鳥取士族.釧路川河岸に雄別鉄道.大きな面積・泥炭地は戦後、ようやく人家密集の地となった.