出家の人事 国泰寺-後- 151116 No439
出家の人事 国泰寺-後- 151116 No439

 アッケシ・国泰寺の第三世住職
蝦夷地寺院住職に任命された後、7年の歳月が流れました.
 文政3=1820年9月17日、住職は「奉願覚 ねがいたてまつるおぼえ」という「隠居願 いんきょねがい」を、江戸・芝にある金地院というところに送ります.



 隠居理由
 厳寒地で持病悪化にくわえ新しい病気、担当区域に離島は大きな負担、随伴の僧侶の修学にも不便.

 公式文書
 願書を記録した寺務日誌には、「是ハ捧書半切ニて美の紙包」と記載しています.
 「捧書」は「奉書紙」、「(包みは)美濃紙」でという意味と考えられます.使用した紙への言及.この文書が幕府が設置して維持する蝦夷地寺院住職の、公式文書であることを示していることの説明と考えられます.<格式と作法>を記載ということになります、か.

編集 ペン : 蝦夷は修行とは言え難儀な事だったのでしょうね。