風化の世に戦争観の深化 「消えない記憶~満州“集団自決”の悲劇~」
 風化の世に戦争観の深化 「消えない記憶~満州“集団自決”の悲劇~」1508 北海道 戦後70年 第四回

 戦時体制の教訓
 事件は思惑の違いにあるという.移住者は「(関東軍は)なにかあるとき守ってくれる」と受け止め、関東軍は「とても(移住者を)守り切れない」.
 そこが両者の思惑の違いにして、悲劇の発生源.関東軍は移住者に知らせることなく、緊急時の守備範囲を縮小していたことを、番組は伝えている.
 「死んで母国の鬼となる」の論に、「異論はひとりもなかった」と、述べる.銃殺の男性を「やむをえなかった」と、受け止めていた点が紹介されている.そこにも注目しておく.



 国民と国家
 事件は、戦争が時として国民同士を対峙(たいじ)させたことを示す.
 男性が介錯して女子・児童を銃殺した場面は<国民同士の対峙>.他方でその点を「恨んではいない」と回想するのは、国家のなせる策と国民の知恵とを峻別しているように、おもえる.
 しかしで、ある.なぜに樺太で9人の乙女が、麻山で465人もの生活弱者が死を強要されたのか.そこに<戦い>がもつ人格の肯定、人権の尊重、人類の尊厳を<踏みにじる>局面.
 番組の提案は、戦いがもつ人格・人権・人類の尊厳を<踏みにじる>局面の提示にある、か.そのように、思えた.



 視聴率
 番組が視聴率を念頭に、質よりも量で検討される風潮があるように見受ける.視聴者も情報との接触はコストをかけるよりも、「あてがい扶持」で間に合わせるのは、文化性と申すべき、か.
 映像媒体がもつ臨場感・理解度の特性は、棄てがたいのだと思う.他方で活字媒体の特性を等閑視することで、構造的に理解する思考や論理的に説明する能力の衰退を結果しているのではと、思う点もないではない.
 「消えない記憶~満州“集団自決”の悲劇~」は、<映像媒体>の特性が活かされている.

 風化の世に戦争観の深化
 他方で、この番組が北海道内の放送でとどまるのは、惜しまれる.
 戦いは東京空襲、沖縄線、広島・長崎の被曝のみではない.戦いは男性戦闘員の戦死、自死、玉砕ばかりではない.戦いの犠牲は、海外で与えた損害のみならず、自国の生活弱者にも降りかかっていた.戦争は国力・平和主義のみでなく、人格・人権・人類の尊厳の点からも十分に考慮の要がある.
 大陸進出の関東軍は紛争を起こし、他国を攻めた.では終末期国民を守り国土を守れたかというと、手がまわらなかった.軍は本土決戦に手がまわらす、市民が犠牲になった.この番組はある意味、戦争観を深めたのみならず、戦争と軍の本質をも示している.

 政治に立法・行政・司法の三権分立があるごとく、政治に科学技術・メディア・教育への深い理解と英知があって、然るべきと考えた.

(以下、番組の広報)
 かつての満州で、集団自決によって465人が亡くなった麻山事件。奇跡的に生き残った女性が現場を慰霊のため訪れた。忌まわしい記憶を胸のうちに秘めてきた人々をみつめる
 詳細
 昭和20年8月、かつての満州・現在の中国東北部ではソ連軍から逃げきれないと集団自決が相次いだ。満州最大の悲劇のひとつとされる麻山事件。広尾町に奇跡的に生き残った女性がいる。戦後70年の今年、慰霊のために自決現場を訪れた。麻山事件では、NHKの取材で集団自決の関係者の証言テープ49本があることがわかった。なぜ集団自決は起きたのか。巻き込まれた人たちはどんな思いで生きてきたのか。