思考で見えず、行で得心 玄侑宗久談「『なりゆき』をいきる」.
 思考で見えず、行で得心 玄侑宗久談「『なりゆき』をいきる」.
 「なりゆき」は「(はからいを超えて)おのずから」と.いうことか.
 「たまたま起こることの中にもたいせつなことがたくさんあり」(87p)と、示す.



 「臘八大接心=ろうはちだいぜっしん」.
 禅門で師走8日にむけ7泊8日で行われる「一日およそ二十時間半、座禅を続けるんです」(117p).
 猛烈な睡魔、幻覚や幻聴がピーク、向かい側に坐る仲間の体のまわりに「緑色のオーロラが見えたり」、「紫色の雲の上に誰かが乗ってやってきた」とも(同).
 意識の底の底にある深い無意識の「阿頼耶識=あらやしき」あたりに「しまいこまれているものが出てきているのかも」の、体感.

 そこのところを結ぶに、以下を述べる.
 「見たり聞いたりしていることは、いかに『私』が選んでいるのかということが、そのときの体験で分かったような気がしました」.

 思考と言葉の世界.「行」で得心とは.
 そこで見えない「やってみないとわからないじゃないか」の領域を、「学ぶんですね」という(118p).
 思考と言葉ではおもいつかない納得の世界.そこが、<死ぬか死なぬかの行>(118p)の先にはある.
 禅門の修行を、そう体得しているように読む、が.
 (『NHK知るを楽しむ 人生の生き方』 日本放送出版協会 2007年10月).

編集 ペン : 釈迦は行によって得心したのですが衆生を救うと言う考えは無かったようです。民衆救済に動いたのは弟子の時代から・・以降如来となったようですけど・・どうなんでしょう^^