書けない苦しみ、書斎での苦闘 重松清著「開高健 悠々として急げ」
 開高健の語り方.そのモデルは、次の部分なのかも知れない.

 「広告業界で書き手としての産声をあげ、『サラリーマンの友』とも呼ぶべきウィスキーの広告でヒット作を連発し、もうひとつの
『サラリーマンの友』たる週刊誌でルポルタージュを連載」「痩せすぎの体で『戦後』を疾走」(64p).

 本書は 1)「鼻の巻ー飢餓から飽食の時代へ」、2)「眼の巻ーベトナムで見つめた生と死」、3)「耳の巻ー闇に聞いた内なる声」、4)「舌の巻ー無と快楽の果てに」で、構成される.

 そこに開高健の示す戦後、著者=重松は戦後を「猥雑なまでのエネルギー」、「戦争の記憶が残っているかこその、慎ましさや理想といたものが(略)、横溢していた」と、読み解こうとする.

 開高が「書けなくなった」.そこを「見る」ことに「訣別し」(58p)、「見ることにこだわり、それがゆえに苦しんできたことがよくわかります」(60p)と、する.

「(開高のいらだちは)文学だけで亡く、八〇年代という時代、さらには日本そのものにも剥いていた」のではないと、思いをはせる.

 開高の作品について、重松の論について知見はまったくないが、「庶民の視座」(9p)として首肯できるものかと、いうことか.

 重松の指摘する「(庶民の視座が)いささか欠けている」とされた、司馬遼太郎が述べた弔辞のくだり.

「(司馬遼太郎は)西欧にあって日本の風土にないもとして「絶対」を挙げ、『夏の闇』の偉大な達成は「絶対」の代わりに(プラスもなくマイナスもなき東洋的ゼロ)『空』を置いたことある」(51p)を、引用しておく.
 (『知るを楽しむ 私の人物こだわり伝』 日本放送出版協会 2007年6月).