ファミレス開扉 レストラン泉屋
ファミレス開扉 レストラン泉屋

 「味よし量よし」で、「客の足が自然に店に寄ろうというもの」の書き出しで始まる(『釧路百年』 釧路新聞社 1969年)。

 そもそも戦後、女将が裸一貫で外地から引き揚げてきて栄町で小料理屋を開店したのが始まり。

 その基礎のうえに「一流レストランで腕を磨いた小泉俊一氏が母のノレンを引き継いで泉屋レストランを開業(末広町二丁目28)」と、ある(昭和34年7月 前掲書141p)。

 「ボリュウム溢れるカレーライスとスパゲッティで食客の人気をさらった」とする。

 会社に組織したのは昭和41年。地階ビヤホール、1階=スパゲッティコーナー、2階レストラン、3階宴会場、4階娯楽厚生施設をそろえた店舗を新築した(北大通四丁目、くしろデパート北側の書店ビル地階に「ニュー泉屋」が開業していた。

 高校生が、お小遣いで満腹となる.外食.それがカップル、女性、若者に道を開き、かつ食通をそだてた.