高杉良著『小説 日本興業銀行 第二部』
 高杉良の企業小説。『小説 日本興業銀行 第二部』
 第二部のポイントは、復興金融公庫から日本開発銀行への移管の問題が主題にあり、とー読んだ。
 その過程で、日本興業銀行が開発銀行の設立にコミットしていくなか、のちに興業銀行頭取となる中山素平の出番が描かれる。

 まずは、日本興業銀行の金融閉鎖問題。
 GHQの金融機関に対する方針をめぐり、「GHQ内部の思惑の違い」が事態解決の行方を渾沌とさせる。
 またGHQにとって、日本興業銀行、戦時金融公庫、復興金融公庫の三者の関係が正確に理解できていないことも、事態の進捗に影響をあたえ「興業銀行戦犯論」の壁が、興業銀行スタッフに雄縛りをかける。

 事態を複雑にするのはGHQという対外関係ばかりではない。
 国内でも大蔵省、日銀にGHQを交えた「思惑」と、「面子」がからむ。からむだけでなく、「昭和電工疑獄」という政治スキャンダルがもちあがる。
 政治スキャンダルは倒閣に発展する。無関係にあるはずの興業銀行にとっても、「政治好き」の頭取が組閣時に大蔵大臣に誘われていた点から巻き添えとなり、「閉鎖機関」にと緊張が走る。

 日本興業銀行が「戦犯」ともくされる所以。
 時には戦時金融公庫との位置関係、戦後は復興金融公庫が興業銀行金融部を主体に発足しただけではなく、復興金融公庫が戦後インフレの旗振り役を演じ戦後混乱を誘因した点に、こと寄せている。

 転機。
 GHQ関係者に、復興金融公庫と興業銀行を錯覚していた担当者の思惑が事態をこじらせていたように、整理。混乱の糸口がみえてくる。
 これまで「昭和電工」を、化学肥料製造とは解していなかった。肥料工場なら戦後の食糧確保で、業績を伸ばし、時代の寵児となる理由も判明。
 菅原通済(すがはら つうさい)なる人物もラジオで耳にしていたことはあるも、今回その人物像の幾分を知ることができた。

 夕刊フジ。原作は『夕刊フジ』に連載されているものと、ある。
 企業を背負って立つ「キーマン」。ここは、成長期というより、戦後復興期の会社を支え、日本の針路に探検図を描き航海した人物像の提示ということであろうか。
 読者は帰宅の電車のなかで、原作を読み、翌日の戦略を練ったのかと、想像に難くない。(角川書店 1987年)