文永の役伝承 壱岐
 文永の役伝承 壱岐。文永の役は最初の蒙古軍が襲来した史実。

 壱岐市石田町にある石田図書館。そこに児童が数名あつまり、毎年、戦いの様子を聞く伝承保存の会が開かれていると、ETV講座で放送していた。

 蒙古軍は対馬攻略から壱岐に。1274年6月29日、7月2日、祖攻撃と激しい戦いがあった。HPによると、壱岐国守護は平景隆(たいらのかげたか)で討ち死にしその墓碑、犠牲になった人々の冥福を祈るために造られた「千人塚」。

 地域の犠牲を語り継ぐため、年配者が児童に語る。図書館のソフト事業。図書館にあつまる先輩と児童の交流に注目。

編集 freehannd2007 : 「血を流した」ということと思いますが、血のつながる祖先に犠牲者ということなのかも知れません。郡上八幡で盆踊り、壱岐で語り部かと。
編集 ペン : 語り継がれていくと言うのは大切なことですね。最前線だったわけですから大きな被害が出たのだということは察せられます