小松和彦著『神になった日本人』
小松和彦著『神になった日本人』。はじめ、「なんのこと?」とおもいつつ、本誌を手に。

 読み進むうち、「確かに」そういう人、「いるわ」の感。
 藤原鎌足の談山神社に、崇徳上皇。こちらは、キーワードが「怨念」と「たたり」。
 死後、「悪さ」「凶事」の鎮圧、鎮魂のための祭祀。談山神社が今日の位置を占めるのは、実に「明治期」の所産とは。

 佐倉惣五郎は義民で知られるが、豊臣秀吉、徳川家康は自分で神様になることを後事に託した。
 秀吉も家康も、一向一揆=仏教を睨みつけ続けるために、大明神・大権現になったのでは、とする。

 西郷隆盛も登場する。
 維新前には江戸城の「無血開城」で確固たる位置を確保しつつも、維新政府ではズレていく。そこのところを庶民は「思慕と敬愛の『記憶装置』」と、する。

 もちろん庶民でも神になっている存在もある。靖国神社のご祭神は、紹介だけあって取り上げられていないが。
 日曜日に読了。このページを書いている段階で、後醍醐天皇のことを失念。

 怨念、仏教への睨み、庶民の思慕。時代とともに、神々昇格の念も位置も、見事に変化という話。(日本放送出版協会 2008年)。