池内了著『禁断の科学』
 NHK、ETV「この人この世界」の2005年12月は、池内了著『禁断の科学』。科学の倫理、技術社会のモラルを整理する。

 科学の倫理と言えば、かつてはキリスト教の権威に抗するかどうかの時代があった。近代においてはなにより、軍事か平和かの論点が不可欠であった。
 そこのところを「接近する軍事と科学」で明確にするが、近年の科学はロケット、原子力、情報化(ウィルス開発など)、遺伝子組み換えなど、「神の代役をする科学者」(最終回)とする、指摘される。

 広島・長崎の原爆。科学者は原爆のデモンストレーションをどこかで行い「日本人やジャーナリストに見せる」案を提案する。この件で意見がわかれたが、「科学者が道義的に振る舞ったことを示すためのアリバイつくり」(48p)と、見る。

 宇宙開発。人類が手軽に旅行すること。「限られたエリートが危険を承知の上で冒険する価値はあると思う」とする一方で、誰もが体験できるようにするために多額の経費(20億とも110億円とも)をかけて、「誰でもが体験できるわけでは(する必要も)ないのである」(78p)と、述べる。

 アインシュタインは水爆実験の現実化を前に、「人類の破滅を避ける目標はほかのいろいろな目標に優先すべき」と訴えていると見解を明らかにする。

 むすびに遺伝子組み換えを、「人体に悪影響を与えないか」「生態系の破壊に導かないか」などなど、「時間の審判というハードルを遵守する慎重さが求められる」とする。

 報道に、書いてよいことと、書かない方がよいことがあるように思える。同じことは、科学にも。要は真理と倫理の間に、人間たる科学者の人類への貢献は≪何か≫の、「時間の審判」は常に意識されねばなるまい。