福田和也「昭和天皇」72
 福田和也「昭和天皇」の72thは「ミッドウィー海戦」。前号は「真珠湾」であったから、舞台は昭和17年2月10日に展開している。

 焦点は2月16日のシンガポール陥落への手順。それにさきだちシンガポール港に停泊していた米軍艦隊は脱出をはかる。
 「無事離脱できれば、連合軍の役にたつ人々」「(同時に)俘虜となった時、その能力のために敵への協力を強制させられる可能性がある」(242p)。
 老人、女性、子供たちより、艦隊乗員の脱出を優先させた理由と、描く。将棋で銀・桂馬を取り込んだのち、コマを敵陣に置いて金にも変換する〔日本人の手法〕を心得ているようでもある。

 シンガポール陥落後の日本人文化関係者による、撤収政策も関心。
 現地での英国・オランダと日本の関与を示そうとする。このあたり2次大戦の側面に、連合国対連合国植民地の「植民地解放戦争」の側面を提示したいと、いうべきか。

 しかし、宇都宮から水戸へ移動した陸軍大臣は、急ぎ列車で東京へ戻ろうとする。東京空襲の内報がもたらされたからだ。
 天皇は、「戦争終結の機会を失してはならない」(425p)としつつも、戦艦「赤城」のダメージに「失陥に士気が沮喪せぬよう」(431p)にと、内大臣に伝える。
 揺れている。(『文藝春秋』2011年6月号)