小説の手法
五木寛之。「青春の門」、「内灘夫人」などで知られる。
 その五木が、道新・中日・西日本などの新聞小説、「親鸞」を執筆中である。

 他の県紙にも同時掲載だそうで、掲載部数は1000万部を超え、どこに住まいをしていても「同時購読が可能」と、北海道新聞の関係者が書いていた。

 108回目の12月21日。「誘う傀儡女(くぐつめ)」の12回目は、「範宴(はんねん)」と名乗る若き日の親鸞が、念仏の説明もそこそこに、常行堂でつとめる念仏を披露する場面。

 聞いていた傀儡女が泣きじゃくる。女の説明。「人形を使って人をあつめ、ときには体をうるの」、「今夜は妙に身にしみてさ、つい、ないちゃったよ」。

 そう書いて、最後は次のようにむすぶ。「範宴の手をとって、温かく、やわらかな場所へ引き寄せた」。解説はない。
 しかし、次に発生するであろう場面を想像させて、物語の【ヤマ場】をつくる。

 モノ書きには、「なにを書く」の構想があり、さらに「どう書く」で、展開が大きくことなる。
 その間の「間(ま)」。腕のみせどころというべきや。