岡田芳朗ほか「古今東西カレンダー物語」(2)
岡田芳朗ほか「古今東西カレンダー物語」(2)
 皇紀の制定もこの前後と初めて知った。6日後というから、旧暦でいうと明治5年12月8日のことになる。皇紀の強要は植民地でも実施されたとある。
 ところでこの制度、政府の中では生きているのだそうだ。むしろ西暦は政府にとって正式な紀年法ではなく年号と皇紀が正式で、条約・勲記・位記には皇紀と年号が生きているのだそうだ。
昭和25年10月かに小学校で、「皇紀2610年」なる行事が行われ、集落内の道筋を旗行列した記憶がある。戦後の洗礼をうけても、皇紀は生きていたのだ。今も生きているのだ。さすがに、記念行事は行われなくなった、が。