大間ー函館フェリー
 1970年9月。函館港から大間行きのフェリーに乗り込み、下北半島に渡った。
 記憶は定かではないが、9月13日の朝7時の便であったと、思う。乗客は結構多かった。それというのも9月15日の八幡神社の祭礼にあわせて里帰りする人たちが多かったからである。

 その函館ー大間航路が、今、存廃の危機にあるという。「北海道新聞」10月7日付け夕刊は、青森県大間町は函館航路の継続を、東日本フェリーに一年間の運航継続を求めたと報じている。自治体とし
ての大間町が、運行主体のフェリー会社に「(財政)支援策を協議するため」というわけだ。

 函館ー大間航路は、北海道ー本州の物流ルート以上に、大間町民の生活の足となっている。かつて大畑ー青森の鉄道があった時代でも、「斧」か「まさかり」を思わせる下北半島の津軽海峡側から青森までは、ゆうに4時間を要した。

 フェリーならば2時間弱。内科・外科は半島内にあっても、眼科や耳鼻科は函館の病院に依存。そもそもテレビの電波は青森県内でありながら、函館の電波をうけている。

 生活手段、町民の足を守る意味は大きい。鉄道が廃止され、輸送時間の延長を結果している青森県のなかで、フェリーの依存度は1970年代に増して大きくなっているはずだ。海からの交通手段をかくと、下北半島は孤島化するのではと、遠くから案じている・