あの日の出来事
今日は、今年初めての25度の夏日。
10キロに満たない買物の荷物が左腕に重く感じた。

いつもとは違う蒸し暑い日中、公園まで歩いて鍛えようと
歩き始めたものの急な坂道を登っただけで嫌になってしまう。

横着者の私はバスに乗って公園に行き、
次は必ず公園まで歩きその次は往復しようと思うのは簡単。

三月になると糖尿で高血圧が下がらず風邪をこじらせた母が
亡くなった時を思い出す。私が29才3月のこと。

私は11才頃から家の為にバイトで働き、そんな生活が嫌になり、
23才から離れて暮らしても金銭の催促がくる度両親が嫌いになっていく。

母が亡くなる事も知らずに両親のお小遣いを速達で送った翌日、
叔母に「○○ちゃんからお小遣いが届いたわ。」

あの現金封筒を母はそっと胸に抱いてくれた話を後で聞いた。
この時は催促はなかったが、仕送りをする時期だと思い
自分の意志で何時も通りに郵便局に立ち寄った。

4日の午後6時、私は母が亡くなった電話を会社で受けて、
亡くなる程悪いのなら何故、私に教えてくれなかったのか、

父を叱りたかったが疲れた父を見れば怒る事もできず、
亡くなる前に危篤ですと電話が欲しかったと一言話す。

母の綺麗な顔や身体を見て父の5日間の介護に感謝をし、
父の事業の失敗で苦労続きの母の身体をアルコールで拭いた。

その夜から1週間の葬儀関係の支払いは私が全額支払うのは、
当然の事だと思っていた。

あれは桃の花を用意していた桃の節句の頃の出来事。
老朽化した家を離れる事を嫌がる父と一旦別れて住まいに戻った。

その後も会社の仕事時間を増やし土、日はアルバイトをし、
催促をする父に金銭を渡すうちに「これで最後にして!」

強い事を言ったあとに背中が小さくなった高齢の父が哀れで
涙がいっぱい溢れた。

父は72才まで会社勤務をするほど健康な身体と真面目さが立派だと思う。
一緒に住んで本当の親孝行がしたかった。

編集 ハル : 大変なご苦労なさったんですね。入学試験なんか“運も実力の内”と云いますが、何事もそうですね。ご両親も一生懸命生きて来られたのに さぞ辛かった事と思います。それと同時にsakuraさんに感謝も・・・。もうすぐお彼岸ですね。 合掌
編集 sakura1205 : えんさん、いつも有難う御座います。PCがまだ修正できなくて音楽が沢山入っている、あーちゃんのHP等に入るとPCが動かなくなります。仕方なく不正な切り方をして再び出直します。もう少しの間、PCが元に戻っていません、ごめんなさい。親孝行ですか、私は十数年、親の為に人生を犠牲にしました。親の為に働く事も親不幸ではないと思っていますが。
編集 えんさん : 孝行したいときにはもう親はいないとは残念でしたね。できるときにしておかなきゃ。ところで、あーちゃんのブログのカウンターがあまり動いてないみたいですが、サクラさんとこからブログは見られますか?