慈母敗子
 もやもやしたので書き留め。

 小さい頃、絵具を捨てられた事がありました。捨てたのが母なのか父なのかは覚えていませんが、捨てられた事がショックで、両親に対して反抗的な態度を取り、怒りを言葉にして喚き散らしました。
 その後は、絵を毎日描く事はなくなり、描くことに没頭しなくなりました。
 今にして思えばあれは新しい絵具を大量に買って貰った直後で、古いものはもう要らないと思われていたのでしょう。

 幼い頃には模型を作る事にも嵌ってました。
 プラモデルみたいに組み立てるものではなく、発泡スチロールや木材を自分で切り出して一から建物や乗り物のミニチュアを作ってました。作るのが楽しくて仕方ありませんでした。
 模型が二桁以上溜まった頃、親に言われて模型を捨てました。
 写真に撮って遺しておくからいいよね、と母に言われて納得して捨てたのだけど、捨てた後は模型を作らなくなりました。
 今にして思えば写真に遺したのは、絵具の件があったからだと思います。

 小学生の頃に父に習って作ったBASICのプログラムを入れたフロッピーもいつの間にかなくなりました。
 大量にあったNEC PC9801を数台だけ残して処分した際に一緒に捨てられたのだと気付いたのは中学生の頃でした。
 気付いてからはBASICを弄っても以前のようには楽しくなくなり、中学の授業以外でBASICに触れようとしなくなりました。

 薄くて高い冊子を作ることや買うことに夢中になっていたこともありました。
 思春期だったからか自分の趣味を人に知られるのが恥ずかしくて、手に入れた作品の大半は要らなくなったサイエンス雑誌に隠しボロボロの段ボール箱に入れて物置の隅に置いてました。
 ある日、物置に置いた段ボール箱が雑誌束と共になくなってました。
 廃品回収に出した大判のサイエンス雑誌の束に薄い冊子が挟まっていたことに、母は今でも気付いていないと思います。(そう思いたい。)
 今はそういう冊子について熱をこめて活動することがなくなりました。

 数学の問題のプリントの束を捨てられたこともありました。
 それまで揮わなかった数学の成績が急激に上がり、偏差値が一気に10以上増えて70を超えて、数学の問題を解くのが面白かった頃のプリントでした。プリントには国公立大の二次試験頻出問題が載っており、僕はそのプリントに一つの問題につき数通りの解法を記していて、物忘れの激しい僕は数ヶ月毎にその問題を解き直して復習してました。
 他人から見たら僕の汚い字が書き散らしてあるただの紙束だったのでしょう。
 プリントに印刷されている数学の問題も、国公立の二次試験の過去問の数値を変えただけで、オリジナルのものではなく、過去問を集めた問題集を見ればほぼ同じ問題が載っていました。特別なものではありません。
 けれど、僕にとっては大事なものでした。
 今でも数学の問題を解くのは楽しいし、解法に至る道筋を塾で子どもに教えるのも楽しいのだけれど。そのプリントの問題を見直して解いていた頃程の愉しさはありません。

 こうやって書き連ねてみると、何だか愛着のある物を捨てられてばかりのように見えてしまうけどそうでもなくて。
 僕が幼稚園の頃に初めて糸を通した針と、その針で初めて縫って作ったぐちゃぐちゃの刺繍を母は今でも捨てずにとっています。僕が刺繍に嵌っていた時に作った壁掛けやハンカチやカバーの類も、捨てられることなく飾られています。
 小さい頃の僕が山から拾ってきた木の葉や石なんかも、捨てずにまだ実家にあります。
 PC9801もまだ屋根裏に数台あります。
 初めて半田鏝を使って作った電子回路キットも保存されてます。
 掛け軸に仕立ててある、場所を取ってしまう大きさの僕の拙い書道作品も、母のウォークインクローゼットの片隅に保存されていました。
 黒魔術の書籍や、SF小説、推理小説も、書斎や僕の部屋から屋根裏にその置き場所を変えはしたものの、捨てられはしてません。
 僕にとっては思い入れのあるものでも、母や伯母にとっては得体の知れないものもかなりあるだろうに。

 「自分にとって大事なものだから捨てないで欲しい」という要望を何がどう大事なのか全く伝えずに、僕が要望の実現を親に期待するのは、親に甘え過ぎていました。
 もし、「自分にとっては大事ではないから黙って捨ててしまおう」と親が思っていたとしたら、親子という繋がりに甘えていたのだと思います。
 僕が大事に思うものと、親が「子が大事にしているもの」であろうと把握しているものが微妙にずれていたのが僕らの食い違いの元で。食い違ったのはお互いの認識不足に気付くに至るまで意思疎通が足らなかった故で。意思疎通が足らなかったのは親子だから言わなくても分かるだろうとお互いに甘えていたからで。
 …結局のところ、甘えていたのは僕なのでしょう。

 以上、http://anond.hatelabo.jp/20080205210908を読み、自分の事を思い返してもやもやしてる部分を書き留めてみました。

編集 佳馨 : ほほう。「これだけ育ったんだからそろそろ面倒見なくてもいいんじゃないかしら」と僕の母は最近よく思うそうです^^
編集 十六夜 : 冗談が判らない方ね。失礼な(微笑 わたしと父の仲の良さはサイトでも有名なのよ♪
編集 e.t. : 親が捨てられるようになるとは、くわばらくわばら・・・
編集 十六夜 : 最近 父が わたしの部屋にある諸々のモノのことを 「いい加減 要らないものは捨てればいいんだ。」と つぶやくのを聴いて わたしも 「そろそろ 捨てどき。。」と 思っています。 父を((爆) Kakei さま お元気ですか ^^ 東京は雨 まったり マイペースで 過ごせそうです。 izayoi
編集 e.t. : 相変わらず言葉足らずになりました。私自身の親との話です。
編集 e.t. : 忘れているだけかもしれませんが、良くも悪くもあまり残っているものがありませんね。それは裏返せば親との関係が希薄なのでしょう。人の親になった今でさえ。我が子が少し心配です