徒手空拳
 京都の円山公園の桜が満開になりました。
 
 毎年桜が咲く頃になると十八歳の春に知り合ったある学生さんを思い出します。
 その人は別に僕の恋人でも友達でも何でもない人だったけど、その人の言動が僕の中では深く春に印象付けられてしまって。
 
 「親の脛を齧り続けるつもりなのか。」と僕を諭したつもりで発せられたその人の言葉を今でも忘れられません。
 その頃通っていたチャットサイトで知り合ったその人とどうしてそんな話になったのか経緯は覚えていないのだけど、その言葉を言われたのは僕が大学に進学はするけれど第一志望への受験はまだ諦めないと話した後だったような気がします。
 
 確かその時はいつまで大学を受け続けるつもりなんだとか、親の脛を齧ってるくせにまだ迷惑かけるのかとか。そんなような事を言われたのです。
 相手が誤解しているのには気付いてましたが、僕は呆れ返ってしまってそれ以上取り合うのを止めてしまってその人とはそれっきり。
 
 いや、今思い返すと「呆れ返って」というのは少し違うかも。
 「いいなぁ。この人は学生だからと親に金を出してもらうのが当たり前の環境で生きているんだな。」とその人を羨ましく思った僕がそこには存在したと思うから。
 親にこれ以上金銭的な負担を掛けるんじゃないと僕に説教するその学生さんは大学の学費は親が払うものだという前提の上で話していて、僕はその前提は万人に当て嵌まるものではないと指摘するのも嫌になって相手との対話を避けてしまったから。
 
 世の中には自分で学費を稼ぐ学生さんと自分で学費を稼がない学生さんがいるのです。
 唯それだけの事なのだけど、桜の咲く時期には後者しかいないと決め付ける人に多く出くわします。

編集 佳馨 : ふむ。これを書いてから手元のICQのログを見返したら別の理由でこの学生さんと疎遠になったのに気付きました。これよりもっと下らない理由でした。
編集 e.t. : いきなり、ぜいたくだという感じで一刀両断されました。いろいろ苦労があったようで。いろんな立場があるのは充分承知していましたが、話を聞くことができない人になったのかと、それっきり疎遠になっています
編集 e.t. : 小学、中学の頃親しくしていた友人と久し振りに電話で転職したいと話したら