多神論者
 今の世に溢れる宗教の多くの神仏の存在を僕は平等に認めているみたいです。
 毎日仏像を観乍ら、何と無く毎日そう思う今日此の頃なのです。

 イスラム教もキリスト教もユダヤ教も佛教も神教何もかも、ごっちゃまぜにして僕はその存在を完全に否定するでもなく肯定するでもなく、全ての神仏に敬意を払って生活してます。
 正月には初詣でに行き、盆には火を焚いて墓参りをし、灌仏会では釈迦の生誕を祝い、冬至が近付けば教会のミサに行く…多分多くの日本人がそうであるように何の宗教の信者なんだか判らない行動を僕は取ってますよ。
 全てに敬意を払い、それ故に全てを心からは信じてません。
 信仰はしないけど、敬意は払います。世界には自分以外の神は存在しないと言い張る自己中心的な神様も、人間嫌いで度々災厄を人に齎していると思われている神様も、酒が好きで常に呑んだくれてる神様も、皆存在して居ると思った方が賑やかでいいじゃないですか。

 沢山居る神仏のうち、どれか一つだけを信じる方が恐らく神仏の意に叶うでしょうけども。僕にとってはどの神様も仏様も心から信じれる存在ではありません。
 だからこそ僕は自分を多神論者でもあるけれど無神論者でもあると思ってますよ。

 別に神仏に自分の未来を任せて頼り切る気はないけれど居ないよりは居た方が此の世が楽しそうだから神仏の存在は否定しない、なんて事を熱心な某宗教の信者さんに言えば激しい反発を食らうんだろうなぁ…。

編集 佳馨 : はて。何の事やら。
編集 魂です : 自身無言、不思議な事に別世界が見える自身宗教家でないので神佛の歴史を説かれても困りますが、魂が見ている現世我々と同じ感覚で、思いは同じでわね、でわね。
編集 魂です : 自身無言