鉄道開業30年、産業活動支援の機能が集積 1930年比定『釧路市街図』
 鉄道開業30年、産業活動支援の機能が集積 1930年比定『釧路市街図』。

 釧路駅が現在の位置に移転(1921年12月)、鶴屋百貨店開店(30年9月。
 上水道完成(27年7月)、幣舞橋永久橋か、防火帯としての北大通=黄線 整備。
 翌年9月には釧網本線開通と新釧路川通水が予定されていた。

 釧路駅&幣舞橋を軸にした「中心街」の形成基盤。
 駅をつうじて釧路炭田に位置する諸炭山からの購買・通学・通院乗客。
 魚菜市場、金物、鍛冶。ほかにも運送店、問屋、鉄道工場。

 橋南に発生した諸業種の多くは、住民の生活必需品を賄う民生用であった。
 しかし、橋北に定着した「魚菜市場、金物、鍛冶。ほかにも運送店、問屋、鉄道工場」は、産業活動支援の業務用むけであった。 
 なにより、鶴屋百貨店が開業し、中心街に「買い回り店機能の意味」を与えることになった。

 中心街の中心街たる所以(周辺のみならず、域内からの求心力が確立)

 釧路~白糠間鉄道開業後30年目に発行された市街図。
 新釧路川通水工事がすすみ、至る所にみられた沼が姿を消した。泥炭湿地の乾燥化。未利用地点が、利用可能となった。
 昭和7年8月。50個の行政字名と地番設定が完了し、「自然発生的に拡大した中心街の秩序・体系化」がはかられる。