「九年の間、戦って得た最後のもの・・、未だはっきり停戦には」 市民の戦後日記450815
「九年の間、戦って得た最後のもの・・、未だはっきり停戦には」 市民の戦後日記450815

 昭和二十年、そのころ日記を書き続けていた佐藤公則さんは、敗戦の日からの感慨を、次のように書きしるす。
(八月十五日)閉戦の大詔下る。正午、天皇自らマイクに立たせ給い畏き詔書を 全国民に下せ給ふ。余は聞きながら顔が下がり涙が出て仕方なかった。今夜は 口惜しいので呑む。無条件降伏、これが我々が九年の間、戦って得た最後のものであったのだ。(略)元気を出してやろう。未だはっきり停戦になっていな いのだ。
(八月十六日)一日中ボンヤリして暮す。何事もしたくない。もうする元気もな いのである。我国の無条件降伏、それを考え、今後のことを考えるとき、何と しても嫌になってしまうのだ。

 2001年3月発行の『街角の百年~北大通・幣舞橋~』(佐藤宥紹 釧路市発行の釧路新書 第25巻)に、「虚脱」と小見出しを付して、上記の一文がある。
 『釧路春秋』第十一集に掲載されたものから、必要なところをほんの一部、抄出させてもらった。

 日記を記した佐藤さんは地域の経済団体で広報課長を務め、市内配布紙ではコラムの執筆の常連さんであった。

 『街角の百年』引用部分では、氏が「閉戦」と受け止めた。天皇の放送を聞いて生じた、新しい事態への対応を模索している。「未だはっきり停戦になっていないのだ」と信じられぬ事態に、「虚脱」の思い禁じ得ず、いかにも無念さが伝わってきている。

 そう、書かせてもらったのだ。