<弘法大師の供養に通じる> 「お接待船団〜和歌山・徳島〜」230422初回放送
 <弘法大師の供養に通じる> 「お接待船団〜和歌山・徳島〜」230422初回放送

 巡礼お接待
 それは<弘法大師の供養に通じる>。<昔、修行僧に住民が一夜の宿、一飯を供し、支えた>ことに始まるという。
 一番札所「霊山寺」に<お遍路巡行>がはじまる春の一週間。瀬戸内各地の港から、舟を仕立てた<お接待船団があつまる>という。

 キーワードは「二百年続く伝統」「名産のみかんを集めて船に」「3月4日から一週間」。
 村には「お接待世話役が約百人」「お接待品を積み霊山寺に向かう船は、海難にあうことなく大領に恵まれる」。
 出船と世話役の希望者が絶えない。ご利益というか、お接待の効果がテキメン。かく語り伝えられている。

 「二百年続く伝統」。
 往時は瀬戸内各地の港から、「お接待船が繰り出した」。
 戦時、戦中、戦争直後。モノのない時代を経過し、「お接待」の風は姿を消している、と。
 放送時の昭和50年。和歌山・有田から徳島・鳴門に向かう船は、8艘あった。

 遍路に歩く人に、旅の途中に<行旅死>の恐れがあった。
 「死したら、近傍の人がその地に埋葬してくれる」。そこを「<人の情け>に支えられ、接待は<遍路者にとって命綱>であった」とする。

 旧暦3月4日にはもっとも多い、遍路行の始まりがあるという。
 有田の世話役が鳴門にとどまる一週間、一人500円の経費と米一升をさしだす。その間、鳴門のヒトのおもてなしに与る。当然、質素に過ごす。
 7日目。霊山寺から有田の村人にむけ、<お札>が託される。つつがなく届けて、有田発鳴門行きの「お接待船団」は<結願>となる。

 修行僧対象、転じて全国から集まる市民。<弘法大師の供養に通じる>に重ねて、「自身が巡拝できぬ、私も同道させて」ということかも。