平和こそ 「自然児」=主計中尉のトラック体験
「平和」こそ 他人呼んで「自然児」=主計中尉のトラック島体験190908

誰かが称してくれたそうで。「自然児」。豪放な側面を称しての一言であった、か。そこをうけて<土こそ大事><土にねざす>。メモしていないが、そのような生き方を語る場面にはじまる。

 昭和16年に帝大入学。18年に出征。行き先はトラック島。そこで屍をみた。<異常が放置され、どうして勝てるのか>。

 復員、復職、結婚。弟が父を語る場面も。
 「(父は)秩父節を復興すること」「俳句をたしなむこと」「その二つがあったから医療を続けてこられた」。



 <平和の俳句>。
 平成15年を期して、立ち上げた。「3年間の投稿総数は、13万1288句に及び」。
 『東京新聞』掲載。「『平和』の語句、思想があれば、季語は不要」。いとうせいこう・黒田杏子と選者を務め、新幹線で新聞社に。

 映画『天地悠々』
 前売り入場券をいただいた。都合で鑑賞できなくなったご夫妻の代理。『解説本』を2冊購入。一冊をそのご夫妻にお礼をさせていただき。
 地方上映の名乗りを、このマチの現代俳句協会員が最初に手をあげたそうで。70席の会場は満員。臨時の席も。

 言葉が重い。
 句をめぐり、世の批判をあびたことがあるらしい。兜太さんは申す。
 「現代俳句を理解し、その歴史を知らずに批評をしても」「詩人や小説家は句、短歌を馬鹿にするが、(彼らは)いたずらに文字を書き連ねるのみでポエムがない」と。

 句、下書きしてのち日記に記載。
 お弟子さんの申すに、「句は下書きしてのち、日記に記載」「日記は公開されるものと考えていたようだ」「(「家は一つだが二人の別人が居住」に)豪放磊落が言われるも、実は下書き後に浄書する繊細な側面も)」とも