キリストの「信」
キリストの「信」 安藤栄二師「人生に語りかける聖書」

 8月25日午前、市内若竹町の釧路キリスト教会 特別集会が市民にも公開されて。
 メッセージの中核は、「キリストの『信』」にそそがれていると、聴かせていただいた。



 「信ずる」というも、それは凡人のはからいではなく、と。師はそう申されて師はおられるように受け止めたのである、が。
 <すでに用意されていることに気づかされる>。
 <すでに神の愛のなかに、包まれてあることを実感する>。

 お話を承りながら、二つのことが念頭に。
 一は本邦浄土教の思想のなかにある、「如来に賜りたる信心」。
 二はこれまた鎌倉仏教の祖師が選んだ、「信不退」か「行不退」かの<信じょう=信の内容を問う論をたたかわす <じょう>漢字で言+争と書くか 論争>を思い出しながら聴かせていただくことに。

 後者は師匠をかこむ弟子たちの論に、<法然の信と弟子の信は、同じか、異なるか>の論。
 多くの弟子が<師匠と弟子では、その信に違いがある>と受け止めるも、師匠の判断はちがった。
 「如来に賜る信心」には、師匠も弟子にも差異はなく、同等とするものであったと記憶。

 釧路キリスト教会 特別集会。
 案内のリーフレット=写真は、集合住宅のメールボックスに投じられていましたよ。
 「永遠のベストセラー『聖書』」「一般の方々の集い」の案内文面に、臆面もなく二人で出かけてゆき。

 そこで聴かされて敬服の点。
 特別講師の安藤師は40日ほど本市に滞在。この間、実に6000枚ほどの案内を戸別に配布して歩かれたそうで。

 日本バプテスト連盟 釧路教会。
 正式には上記の名称。17世紀にイングランドで始まり、現在はUSAに多く分布、と。
 モノの本に「個人の良心の自由を大事にする」とする、解説をみつけましたが。