大川純彦著『暁鐘』
「社会の進歩に貢献」「少数の権力者が多数の人々を抑圧」 大川純彦著『暁鐘 「五四運動」の炎を点けし者』

1927年の祭礼の日。
在中国ソ連大使館に身を寄せていた運動家が連行され、処刑となった。草創期の中国共産党指導者で、北京大学図書館長の職にあった30歳代後半のエリートが犠牲に。

「五四運動」と「李大釗 りたいしょう」の名は、中国近代史を理解するうえでの一つの指標ということになる。

 時代は1917年のロシア革命を経て10年後。
 身を寄せた大使館内に、張作霖のおくりこんだ司直の手が伸びる。その異常がまかり通ったところに、事態の深刻な側面が横たわる。

 特に米中はもとより本邦の政権・軍部にとっても革命の影響が拡散・定着することへの<危機感>があった。その危機感に対する一部権力者の時代感覚を研ぎ澄ませて眺めると、事件の意味、問題点が明確になってくる、と受け止めた。
                
 今日、巨大な国として一党支配をつらぬく中国の体制は、第二次世界大戦後のことである。その揺籃期が実は第一次と第二次の大戦の中間、いわゆる<戦間期>にあった。
「五四運動」は、「日本との交渉にあたった中国政府の役人の処罰」を求める運動。

 著者は申される。中国の共産主義化の過程に、「一国で」か「他国と連帯」してかの異論があった、と。異論に寛容な東洋思想の聖地で、不寛容な事件が起きた素地。
後書きに記載。
 「二十世紀は、中国ばかりではなく地球上の多くの地で、李と同じく人間解放の夢を追い、社会の進歩に献身していった人々がいた」。
 「少数の権力者が多数の人々を抑圧するところがある限り、一部の民族が他 の民族を隷従させる地域がある限り、そこから起ち上がろうとする人々の夢そのものを押しつぶすことはできない」。

 実は本著の後段、李大釗の息女が残した回想記収録。
 10歳すぎた年頃の父の尊厳を護る記憶の記録化は、読ませてくれて、考えさせてくれる。
 つまり少数権力者の抑圧、一部民族が他の民族を隷従させたとき、その後に国家間の<戦い>が起きたプロセスの起源となったから。
 空襲被災のあった、日。原爆投下のあった、日。ポツダム宣言受託が伝達された、日。
 本書を手に、読書会を開いてはどうか。もとより「社会の進歩に貢献」したヒト、「少数の権力者が多数の人々を抑圧」した歴史のあったことを、東アジアのなかで確認し本邦も深く関係してきた点を確認するためにも。